鎧を脱いでいくこと
noteのアカウントを作った後、なかなか最初の記事を書けずにたけれど、昨日ある方とのお話しする中で大きく心が動いた瞬間があり、書き留めておこうと思います。
私は仕事を通して子どもの育ちに関する活動を行っているのだけれど、昨日お話しした方(Aさん)も同じような活動を精力的に行っておられるという情報を見つけ、一度どのように活動をされているのか?直接お話を伺いたいと思い、それが昨日に実現した。
最初は和やかな雰囲気で話が進み、ひと段落したところで
「じゃあこれでイイですか?必要な情報を得ることはできたでしょう」
とおっしゃった。
私は心の中でかなり狼狽えてしまったが、なんとか声を振り絞り「ええ?そうなんですか?」と発した。
ここで「なんて失礼な人だ!」と帰るというパターンもあると思うが、この時はなぜか踏みとどまり、その後も対話を続ける中で最後は意外にも「意気投合する」という結末に行き着いたのです。
その後の対話の中でAさんは私のことを「利用しようとする人」と判断し、このまま話を続けても意味がないと思ったらしい。
私は全力で良い関係を作りたいと思って伺ったのだが、、そうなんなだ。。そういうふうに捉えられることもあるんだ。。
ということが一つの学びとなりました。
もう一つの学びとして、自分を守るための鎧。Aさんの分厚い鎧にぶち当たって打ちのめされた私だけれど、顧みると「自分もかなり頑丈な鎧を着ているね」ということを再認識する機会となった。
私も鎧が厚すぎて相手のことがよく見えていないにもかかわらず「この人はこんな人間だろう」と決めつけ、関係をシャットダウンする傾向がある。そういう時は大抵「上から目線の思考」も同居しているのだが、、それはほんとにあかんやつよ。
自分自身が問答無用の強烈なシャットダウンを喰らったことで、自分も誰かに同じようなことをしでかして、ダメージを与えているかもしれないこと、深く深く心に刻むことができました。
自分を守りたい一心で、鎧を重ね着してきたことは否定しない。いろんな辛いことがあってそうなったのだから仕方ないと思う。でも周りが見えにくくなったり、動きにくくなったりしたら意味がないよね。中身がちょっとは図太くなった今。いかに鎧を脱いでいくか?が大切なんだろうな。一枚一枚少しずつ。
柔らかく、柔らかく行こうね。