ピントが合いすぎて、ショックです。
ピントが合う。
いわゆる焦点が合うということ。広義的な意味では、物事の要点をしっかり押さえていることを、ピントが合うと言ったりするかもしれない。狭義的な意味では、カメラの焦点を合わせて被写体を鮮明に写すことを言うのかもしれない。
表題にあるように「ピントが合いすぎてショックだ」と言うのは、一体どう言うことだろうか。
何にショックを受けたのかは、ショックを受けた私が一番よく知っている。それでもすぐに答えをここに書かないのは、ショックな事実を未だ受け止められていないからかもしれない。 noteに書くことでその事実を消化し、受け止められるといいな、と思ってここにそれを書くことにする。
そもそもピントが合うと言うことは、ショックを受けるようなことだろうか。いや、そうは思わない。むしろいいことだと、私は思う。
被写体が鮮明に映るもよし、物事の要点をしっかりと捉えるもよし。何一つ悪いことはないように思える。
しかし、それでも私は、ピントがあったことでショックを受けてしまったのだ。
それは、このようなやり取りから始まった。
「それ、買ったと?」
職場の同僚の机の上のものを一瞥し、私はそう言った。
私は"それ"を使ったことがなかった。良いとは聞く。そのうちに必要になるだろうということも想定していた。しかし、まだその時期ではないとも思っていた。時期尚早だろうと。でも、興味はあった。だから私は、彼女に声をかけたのかもしれない。
「最近買ったわけじゃなくて。買っとったけど、使ってなくて。久しぶりに出してきた」
ふ〜ん、と私は鼻の奥の方を振動させて返事をする。気になる。どんな使い心地なのだろうか。時期尚早だと思っているが、実はもう使うタイミングは来ているのではないだろうか。私の好奇心が、夏の日の入道雲のようにムクムクと立ち上がるのがわかった。
「へ〜。ちょっと貸して〜」
「どうぞ〜」
私はその机の上のものを手に取った。
そして、すちゃっと"それ"を装着する。
「ねえ、これ読める?」
同僚は小さい小さい文字がびっしりと書かれた資料を手に取ると、私の目の前にスッと出した。
そして私は、その資料を目にして驚愕した。
「え? めっちゃハッキリ見えるんやけど!」
私は顔に装着していたものを、そう、"それ"をおでこにずらし、再び先ほどの資料に目線をやる。
これまで見えていると思っていたが、"それ"を装着した時に比べると若干見えずらい。
見えずらさは乱視のせいかと思っていたが、何かが違うようだ。
ピントが合った鮮明な文字を読むべく、私は再び"それ"をかけた。そして、資料に一瞥をくれる。
うわお。めっちゃ見えるわ〜。
老眼鏡、すっげ〜!
齢43歳。老眼を自覚した瞬間であった。
文字にピントが合い、自分の老化具合にもピントが合ってしまった。ショックではあるが、事実は受け止めるしかない。しかし、かなり見やすかった。
そうだ 老眼鏡、買いに行こう。