剔抉遊山 3
3
清又は駅出口からすぐのコインパーキング前で頭悪そうに突っ立っていた。
しかし実際は清又はちょっと頭がいいし、身長もちょっと高め、ちょっと痩せ型、ちょっと顔が良い、ちょっといい会社で働いている、と実に腹の立つ男で、その証拠に私が出会い頭に
「やぁやぁ清又よ、本日はお日柄よろしゅう御座ってありんすねぇ。」
と言ったのを「おお」だけで済まし、野良武士が仇と鉢合わせした時みたいな感じで
「此処で会ったが百年目、叩っ斬ってやる。今際に残す言葉でも考えておけ」
と言ったのを今度は無視し、一瞥をよこして「行こか」とスタスタ歩き出した。実に腹の立つ男である。絶対に旅行費用を無心したる。
駅から大学のある方面へ少しく歩いて入った中華屋はよく冷房が効いており、客は少なかった。入ってすぐの右手側にレジがありそこから奥に向かって縦長にカウンター席、その奥に厨房。私たちは逆側、店内を左に曲がってから奥に進むと並ぶ座敷の一席に靴を脱いで座った。店員さんがテーブルに運んだ冷水を一気飲みしてから私はハァと人心地つく。道中なかなか暑かったので水が美味い。
それから餃子やら炒飯やらを注文して待っていると、頬杖をついてスマホを弄りながら清又が、
「そうそう、もうすぐおれ引っ越すから」と画面から目を離さずに言った。
「えっまじで、どこ」
「福岡」
「ぐぉあっ」
「なにその反応」
引っ越し…しかも九州かい。清又岡彦とは小学生時分からの付き合いだが、当時から急に大事なことを喋っては恬然としている奴だった。
「やっぱりお前も九州の土地に魅力を感じたタイプのポケモンか、そうなんやな」と早口で喋る私を見て、清又は「はぁ?なんやそれ」と鬱陶しそうに眉をひそめてから、
「転勤や転勤、だいぶ前から決まってたけど言うの忘れてたわ」と言って再びスマホを弄り回し始めた。
なんだ同士ではないのかぁ、と残念な思い半分。長崎ではないにしろ、平然とこの町から脱出して、私の渇望する栄光の地方都市へ移住するなど不届千万、と嫉妬が半分。いやしかし移住かぁ。変に心拍数が上がった私は心を戦慄かせつつ清又に尋ねた。
「いつ行くん」
「来週の木曜日」
「ぐぉあっ」
あと数日で清又が大阪から居らんようになってしまう。なんたることか。益々今日中に金をゲットせなあかんではないか。元々そのつもりだったがミスは許されない。
お待たせしましたぁ。と運ばれた飯のあれやこれやを食いながらその後、清又と私は尋常の調子で益体も無い話(ダボス会議が云々ファイアパンチという漫画が云々ビョークとアルカが云々だの)をダラダラと続けた。しかし私は奮って尋常の調子を捏造しているだけで、内心はいつ金の話を切り出そうか隙を伺っていたので穏やかではない。
すると話題がビョークからなぜか海外旅行の話へと飛び、清又が、最近でたボーナスを注ぎ込んで欧州なんぞ行ったろか、とか言い始めたので時恰も良し。切り出すなら今しかないと私は腹を括った。
「実は俺も近々長崎に遊山でもしよう思ってんねん」
「おお、ええやん長崎。日程合えば俺福岡から行くから現地で酒でも飲もうや」
よし、いい感じだよママ!と私は心の中で拳に握り、ここを先途と続けた。
「でもなぁ、恥ずかしい話やけど、最近ちょっと手元不如意でなぁ」
「手元ふにょいって何や」
「まぁ、なんというか。お金がなくてですね、いや、あの基本的なレベルくらいはあるんやで。基本的に旅行に必要な金は、大体の金はあるんやけど、その、贅沢はできひんというかちょっと足りてないというか」
そう言って私はチラッと一瞬、清又を見遣り、演技臭くならないよう注意しつつ悲壮な面持ちで続けた。
「行けたにしても、向こうでお前と美味いもん食う金とかはまぁ無いかもしれんなぁ、いやぁ残念や。お前と長崎で再開したかったなぁ」
よし。当初は我が長崎遊山への憧憬、愛を熱弁する予定だったが、こう言えばハートフルな清又のこと、「なんやぁそんな寂しい話あってたまるかぁ。なんぼ足らんねん言うてみ。え?20万円?貸すがな貸すがなぁそんなもん、出したるでぇガハハハ」とか笑って鷹揚と私を救済してくれるに違いない。自分、上手いことやったっす。我が策略、ここに成満して候!
「もしかしてお前、俺から金借りようとしてる?」
「えっ」
「途中からなんかおかしいな思ってたけどやっぱりか。ていうかそうや、なんや今日電話した時からおかしかったわお前。金、絶対貸さへんで。甘えんな」
「まじかぁ」
食べかけの炒飯はさっきまで美味しかったのに、なんか今はやけに味が薄い。スープはやけに冷たいし、店内暗くない?
なんて思っていると清又は天津飯を食べ終え、水を飲んでからクァと欠伸するなど晏如とした様子で「なんでまた突然長崎に旅行しよう思ったん」と私に詰問を開始した。
清々しいくらいに奸智が失敗した私には最早なんらの拘りもなく、だから一切の経緯を包み隠さずに話した。グーグルマップ旅行で日本中の都市を徘徊したこと。本然の旅行じゃないと満足できなくなってしまったこと。金が口座に1万とちょっとしかなかったこと。数日間は頑張って我慢、忘れようとしたこと。しかし欲望は消失せずに心の中で肥大化したこと。そして清又からの飯の誘いに時宜を得たと思ったこと。その他の件にまつわる衷情を臆せず披瀝した。
すると、最初こそ真剣に聞いていた清又は、全然金足りてへんやんけ何が、基本的には金はある、や。と大声で一頻り笑い、私が話し終えた後もまだ肩を震わせながら、
「え、じゃあリフレッシュとか、有名な観光名所とかを観たい訳でもなくただ長崎の路地を歩き回りたかったってこと?なんでまた」と聞いてきた。
「絶対楽しいはずやし、もっと言うと、ひょっとするとなんか刺激的なことが起こるかも知れんやん」
「刺激的なこと、とは」
「それは、まぁ分からんけど、自分の未だ知らぬ新しい世界で、人生の一変するような、なんかデカいこととか」
不思議なことに、こうして清又と話していると自分でも意識していなかった心の内が少しずつ鮮明になってくる。そうかおれは長崎にそんなことを求めていたんだな。
「人生の一変するようなこと?長崎の路地でか?そんなもん、この辺の路地じゃあかんのか」
「全然あかん。この辺なんか、つまらん。何かなんて起こるわけない。そもそもおれはこんな町嫌いや」
私がそう断固と主張すると、先程までヘラヘラしていた清又の顔色が、打って変わって憮然とした表情へ、やにわに変わっていった。
「お前、何から何まで人まかせやなぁ。自分の力でどうこうしようと思わんのか」
妙に真剣な清又に、私は少し気圧され、しかし何と返せばよいか判然とせず「なんやそれ」と曖昧に濁した。
「まぁええわ。でもお前、一つ言っていいか。お前の旅行の動機は不純、というか不適切や。今回は諦めろ。ほんで代わりに今日からこの辺散歩しろ」
「えぇ、なんでわざわざそんなことせなあかんの」
「ええから。してみろや」
「やから、なんで」
「散歩してこの町のええと思うところ10個発見してみろ。そん時は、もうどこへでも旅行したらええわ」
「どういうことや、全くわからんぞ」
清又はその後も理由は言わなかったが、なかなか私もいい具合には返答できず、結局言いくるめられて散歩することになった。しかし清又はこのあと予定があるからと中華屋を出てすぐ帰っていった。「まぁ次会う時を楽しみにしとくわ、じゃあな」とだけ言ってフラフラ歩いて消えた。なんやあいつ。
で、私は帰り道ついでに周辺を散歩することにした。なにも清又に服従する訳ではない。むしろ私はこの町を否定するために、あかんところを10個探すために散歩をするのだ。
達成した暁には、こんな町をいくら歩いたって益体も無い、なにも得られない、という事実が明るみになる。さすれば長崎遊山を不純だの不適切だの言われる道理がなくなる。つまりそれは、ここでは無い場所に行き、ここでは手に入らないものを希求するのだという私の考えや想いが正しかったという証左に他ならない。まぁこの想いは清又との会話で気付いたものなのだが。
よし、剔抉したる。抉り出したる。これから始まるは剔抉遊山なり。と意気込むと果たして目の前の世界は早速クソつまらないので、これはすぐだな。私は嬉々として歩みを進めた。だらしない風が私の身体のそばを吹き抜けた。
つづく