孤独を貫け
「孤高のヒーロー」というのをカッコイイと思うのは一般論として当然というか、その屹立とした在り方に憧れるのは仕方がないし、だってそりゃ普通は孤独でいるのは耐えられないから群れをなしたり、自分の意見を他人に承認してもらって安心したりするものなのに、「孤高のヒーロー」はそんなものを一切求めず、誰にも認めらず、それなのに世のため人の為に、人知れず闘い続けているわけだから、そりゃ憧れを抱くのは人情だろう。
小林よしのりは自分自身を主人公にした漫画「ゴーマニズム宣言」で、自らを「孤高のヒーロー」であるが如く描いていた。
純粋まっすぐな読者はそのマンガのキャラを真に受け、小林よしのりは「一人でいて寂しくない孤高の英雄」であると信じ込み、しまいには崇め立て、ゴー宣道場なる団体に所属して一般社会に牙を剥く始末である。
座頭市にしろ、子連れ狼にしろ、木枯し紋次郎にしろ、椿三十郎(桑畑三十郎)にしろ、やはりヒーローは孤高であらねばならないし、仲間内で傷を舐め合う連中よりも孤独をものともせずに、己を通すキャラクター、硬派銀次郎やフェニックスの一輝やひとりぼっちの宇宙戦争の凄みに圧倒される。
小林はそのような人の心理につけ込み、自らを「孤高」と嘯く。
単に周囲の人から信頼を得られずに仲違いを繰り返しているだけの卑怯卑劣な輩であるだけであるのに、マンガではひたすら自己正当化し、自らのルックスはもちろん、行動まで美化して描き、一方的に恨みを募らせた相手を醜悪に描くという、なかなかにクソダサい手法で印象操作して恥じない。
これのどこが孤高なものか。
ゴーマニズム宣言というマンガが手元にある方は改めて過去作を読み返してもらえたら分かると思うが、当初はノン知識のギャグ漫画家が「何も分からないけどアホなわしが素朴に思うことを素直に言っちゃう」というスタンスでさまざまなことに口を挟んでは物議を醸すみたいなものであり、この時点では地に足がついていたと言える。
しかし、薬害エイズ問題やオウム事件あたりから「社会派マンガ家」というポジションを世間から付与され、そんなものにわざわざ応える必要もないのに、社会的評価が欲しくてたまらなかったのか、他の漫画家との差別化を図りたかったのか、周辺の知識人や新たに雇ったスタッフ(秘書)をブレーンに据え、漫画の構成に関与させるようになってから、マンガ的技法、マンガ的可笑しみを放棄してやたらとネーム(文章)だけでコマを埋め尽くし、主人公キャラがひたすら持論を展開するだけの絵解きと化した。
それが1995年後半からはじまり、次第に悪化していった。いわゆる「マンガとしては既につまらない」状態に陥った頃である。
それでも、それなりに知識のあるブレーンがいた頃は思想的な好き嫌いはあるだろうが、絵解きマンガとしてそれなりに形になっていたので、お手軽に情報を仕入れたい層から需要があった。
しかし先程も書いたが、世間からの評価を独り占めしたい小林はブレーンとして利用した奴らとの確執を繰り返し、一人また一人と情報源が彼から離れ、気がつきゃ誰からも信用されなくなり、今やマヌケな作画スタッフ時浦兼が小林マンガの構成を一手に引き受けている有り様であり、その時浦の情報源は真偽不確かなネットの書き込みオンリーであるのだから、そんなものをソースにしたマンガをわざわざ購読する奴は救いようのないバカであるとしか言いようがない。
2019年にアイドルグループのメンバーがファンから暴行を受けたとされる事件があり、それについて小林はブログなどで反応した。
そのアイドルグループは小林がいっとき熱を入れていたAKB48から派生したものであり、AKBの運営と懇意であった小林であるのだから、運営関係者から事情を聞き出して記事を書いたのであれば、それなりの価値のあるものになったかもしれないが、小林はなんとブログで次のように書いた。
驚くべきこと、ネット上にあがったアイドルオタクの憶測を元にして、NGT48のメンバーの実名を晒して勝手に加害者認定して罵倒してみせたのである。
案の定、この憶測はまったく的外れであったことがすぐに判明したわけだが、小林はそれについて謝罪することもなく、知らん顔をしてバックレて今日に至っている。
ネットの憶測について、噂を立てられた被害者側が疑惑を晴らす責任があるなどというのだが、それがどれほど滅茶苦茶な理屈であるか説明するまでもないだろう。
まともな側近(ブレーン)がいたのならば、そんな出鱈目な記事を世に公開するなどさせないだろう。
その翌年2020年、確実に将来世界史に残るコロナ禍が現在に至るまで続くわけだが、小林は医学的知識もないまま、世間の逆張りをし、それによって世間から嘲笑されたことで激昂し、後戻りできなくなり、以前からあった反ワクチンの陰謀論者の言説を後ろ盾にし、また真偽不確かなネットの体験談を取り上げ、恥の上塗りをした。
小林よしのりは元々知識などない人であり、あくまで「門外漢のギャグ漫画家に過ぎない」というスタンスで暴言をカマすという、いかにも90年代らしいノリではじめたマンガであり、社会派扱いをせず、知識人扱いせずに、珍獣を眺めるという感じで扱われていれば、珍コロナ論も「馬鹿言ってら」で済まされていたわけだ。
しかし小林本人も知識人を気取っているのだから、「所詮ギャグマンガ家のネタじゃけん」などという逃げは通用しないだろう。
しかし、まあその「ギャグマンガ家としての悪ノリ」というスタンス自体ももはや何の新鮮味もない有象無象の不謹慎系なら誰でもやっている程度のものであり、よく恥ずかしげもなく、中学生みたいなイキリ方をするものである。
それを支持する連中の知性のなさには呆れるばかりだ。