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雪印の倉庫

最近はめっきり自らの過去のことばかりが思い出される。
あの時はどうだった、あの頃はこうしていた等々、かつての思い出ばかりで、共通体験ならばそりゃ盛り上がるネタになるが、そうではない場合は他人が熱心に聴いてくれる筈もない。

「まだ美園のボロ借家に住んでいた頃にさぁ…」などと話し始めたとして、当時の私を知らない人からしたら、まずは「ミソノってなに?」てなものであり、「いやだからサッポロのあれだ、豊平公園徒歩圏内の、共同石油の隣のあの廃屋みたいな、焦茶色の屋根のさぁ」などと私が説明したところで、さらに困惑した様子で、「話が見えない。説明ヘタすぎ」と呆れられて、「そんなことより次の休みはどこへ行く?」などと今現在の生活に引き戻されてしまう。

私がしたい話は週末の予定などではなく、遠い過去の思い出話なんだ。
それもしっかり肉付けされたエピソードトークではなく、断片的な記憶のカケラを漫然と話したいんだ。
しかし、そんな曖昧で、またオチのない思い出話など誰も聞きたくはないだろう。
それは睡眠中に見た夢の話と同じで、何の生産性もなく、何の教訓にもならないのだから聞くだけ無駄だし、むしろ時間の損失でしかない。

でも、私は最近そんな無駄な思い出ばかりが頭の中に巡り、メグミルクって昔は雪印牛乳という青と白のパッケージだったんだぜとか語り始めてしまう。
そう、美園のボロ家の道路の向こう側には雪印の倉庫があった。
果たしてそれが倉庫であったのか判然とせず、ネットの画像検索で調べてみるもまるでヒットしない。
くすんだ灰色の石壁に白いペンキで雪印のマークが描かれていたという記憶がある。
近所に児童公園があり、その公園の柳の木の下には丑三つ時に不慮の事故で亡くなった若い女性の地縛霊が現れるとか、そんな話を兄にされ、盆踊りの晩に肝試しをした思い出とか。
幼稚園児の頃、補助輪を付けた自転車で線路向こうのダイエーまで行って、それを近所の人に発見されてちょっとした騒動になったとか。
ああ、なにもかもみな懐かしい。
しかし懐かしんでいるのは私一人であり、当時の状況を知らない人からしてみたら知らんがなでしかない。

思い出話とか夢の話は他人にしてはいけない。
こうやってnoteに書いて自己満足に浸るだけで良いだろう。

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