さっちゃんがウチにやって来る ~味噌汁とタンドリーチキン 「#おいしいはたのしい」(1937字)
気になる女の子を初めて部屋に招いた日、僕が作ったご飯は味噌汁とタンドリーチキンだった。
鍋に浮かんでいるかつお節がゆらゆらし始めたので、ぼこぼこ沸きだす前に僕はコンロの火を止めた。あとはかつお節が自然に沈んでいくまでそのままおいておく。みそ汁の具は玉ねぎと油揚げとわかめと決めていた。僕の一番好きな組み合わせだ。
鶏肉はヨーグルトとカレー粉、それにたっぷりのニンニクとしょうがで昨晩からマリネしてある。ここまでやっておけば料理の準備はもう大丈夫だろう。外は薄暗くなってきているものの、まだ彼女が来るまでに十分余裕はある。
これからウチに初めてさっちゃんがやって来る。いや、正確には今日が初デートなのである。
初めてのデートが野郎の下宿での手作りディナーというのも普通ではないが、そこは「島暮らし」という事情がある。島での生活に憧れていた僕は、1年近く前に島内の介護施設に働き口を見つけ海を渡ったのだった。
この地には若者がデートで使える気の利いたレストランなんてない。そもそも島での外食は高くつくし、どこへ行っても知っている人間に遭遇してしまうのでくつろげなかった。というわけで、「ウチでご飯でも・・」という誘いはそんなにおかしいことではない。
そして僕の料理の腕はといえば、やればだいたいは出来る、だが洒落た料理は作れない、という具合だった。ここぞという勝負ご飯のメニューが味噌汁にタンドリーチキンとは我ながらとんちんかんだという気がしないでもないが、僕なりに心を込めたおもてなしディナーのつもりだった。
味噌汁は僕が毎日作っている得意料理で、季節の地野菜を大量に投入する。それに加え豆腐や油揚げなどの植物性タンパク質、さらに乾燥わかめのミネラルなどが健康維持に役立っているはずだ。
そしてメインおかずのタンドリーチキンには、かつて僕が旅をした大好きな国インドへの想いが詰まっている。体に優しく飾らないいつもの汁物と、自分の「好き」を表現したスパイシーなメインディッシュ。これこそ自分らしさ溢れるデートディナーなのだ。
僕は炊飯ジャーのスイッチを入れ、冷蔵庫から缶ビールを取り出すとプシュッと開けた。缶を軽く掲(かか)げ乾杯をしてから喉に勢いよく流し込む。よく冷えたビールが食道を通り抜けすきっ腹に滲(し)みわたっていった。
休日に料理を作りながら一杯ひっかけるのが好きだ。それが、初めてウチに来る女の子をもてなすための料理となればもうこれ以上はない。ワクワクとドキドキが合わさっていやがうえにも盛り上がってしまう。僕はオーディオのボリュームを上げ、ビートに合わせて体を揺すった。
ここまでは極めて順調だ。いや、最高だ。あとはかつおだしに刻んだ玉ねぎと油揚げを入れて味噌汁を作り、付け合わせのブロッコリーを茹でてレタスを洗い、最後にチキンを焼けばいい。大したディナーではないが、気に入ってくれるだろうという自信がなぜかあった。ほどよく酔いも回り、良いイメージしか浮かんでこなかった。
さっちゃんとの出会いはつい2日前のこと。先輩カップルのセッティングで一緒にご飯を食べたのだった。初めて話をしたさっちゃんは明るくて気取らない女性だった。声もリアクションも大きくて、周りの人を元気にさせる力があった。すぐにさっちゃんを気に入ってしまった僕は彼女の帰り際に、早速で悪いけどと前置きをして今日のディナーの約束を取り付けたのだった。
そのさっちゃんが、あと1時間ほどでやって来る。部屋の掃除は済ませたし、そこらで手折ってきた花も飾った。準備万端だ。念入りに掃除機をかけたおかげでいつになくきれいになった畳の上に僕はごろんと転がった。
すでにさっちゃんのことをほとんど好きになってしまっている自分がいる。だが、まだお互い相手のことをよく知らないし、なにしろ初めてのデートだからここは勢いで突き進んでしまってはいけない。今日のところはただ楽しく食事ができたらそれで十分なのだと自分に言い聞かせ、ぼちぼち玉ねぎを刻もうかと体を起こした。
そして、さっちゃんがやって来た。
彼女は僕の作ったご飯をとても喜んで食べてくれた。さっちゃんの飾らない人柄と溢れるバイタリティは、まさに味噌汁とタンドリーチキンのようだと思った。さっちゃんと食事をしながらおしゃべりしている時間が楽しすぎて、僕は先ほどの自戒をあっさりと忘れた。
「好きです。付き合って下さい」
あれから10年。食いしん坊の妻のおかげで僕の料理の腕もだいぶ上達して、休日になると家族のご飯を作ることが楽しい日課となっている。
「さっちゃん、今日のご飯何にしよう?」
了
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