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Another Horizon: Holding it in

3月17日 金曜日

2日ほど前からIちゃん、とんぼちゃん、Sugarちゃんや他何人かは模擬国連という特別課外授業(ディベート)で北京に行っていた。
MSNや学校でいつも話す相手が2人も不在で、寂しかったのかもしれない。友達はTちゃんなど他にもいたけど、たくさん噂話などをしたわけじゃなかったから。

そしてこの日は春休みに入る前の最後の学校だった。
私たちの学校の新学期は8月とかなので、春休みはただの2週間程度のホリデーなだけ。ちょっとした学期末なだけだった。

4月には小学校高学年から実は同じ学校だったNくんが国内で転校してしまうということで私は主にMoyashiとTちゃんとで送別会の作戦を練っていた。
放課後に日系の書店に行き、色紙を買った。
それを抱えてこの日のランチタイムに学年の垣根を超えてキャンティーンの中、私たちの学年がランチを食べているところなど、いろんなテーブルを駆け回ってた。できるだけ多くのNくんと面識のある人たちからの寄せ書きをもらおうと思っていた。

Sarry今日頑張ってループのとこに行ってたってFから聴いたよ〜 とソフィアちゃんからも放課後のMSNで言われていた。

ループについての詳細はこちら

同学年のMoyashi、マッチョ、もしかしたらHageにはあれだけ「明日色紙持ってくからメッセージ書いてね!」と事前に宣言してたのに、書いた内容を読まれるのが嫌なのか「あとで書くわ〜」などといって書くことを拒み、マッチョはMoyashiの真似をして「書くわけねーじゃんw」にも恐らく似たようなことを言われ私は激昂してた。
特になんでも金魚の糞なマッチョには苛立ちを隠せなかったように思う。

1番気の引けてたループ集団(先輩たち)はやっぱり大人なので快くメッセージを書いてくれて、へ〜この人の名前って漢字だとこうやって書くんだ〜と新鮮だったことを思い出した。メッセージのひとつひとつもそれぞれ個性的で、思っているより悪い人ではないのかも。と思えた。

ランチタイムの不機嫌な私の様子を見守っていたらしいKuriから、なんで今日機嫌悪かったの?とMSNで聞かれた。


Kuriとの会話で、唐突に彼から「hey how much of a friend am I to you?」と聞かれた。「like, how much do I mean to you?」
僕は君にとってどれくらいの友達なの?どれくらい意味のある存在なの?と。

突然すぎる質問に、何か他の意味が含まれてるのかを疑った。

I don’t know I know you since G6 so you mean more to me than the Japanese boys.
グレード6から知ってるから日本人男子より大切だ(仲良い)よ と私は返した。
同性からも異性からも人気があって、いつも人に囲まれてるKuriという印象だったけど彼も彼で思春期を悶々として過ごしてたのかもしれない。
よく、「自分とは」とexistential について質問された。

興味深い質問なので、同じように私も聞く。
How much do I mean to you, and am I friend of yours?と。

友達に決まってんじゃん 笑 そ
れにーー
それに?
んん なんだろ。


I mean like you said
We’ve known each other since gr6 
So you mean a lot. 
Grade6の頃から知ってるからすごい大切だよ。

「of course ur my friend and…」のあとに続く言葉は一体何だったろう。
「you mean alot (to me)」に込められた「a lot」はどういった意味だったろう。

このあと、Kuriは脈略もなくこう呟く

Me love you long time
ボク、キミ、ズットダイスキ

何もわからないふりをする私に、まるでそういう冗談の言い回しがあるかのように中国系の人が喋る英語の発音をおちょくる文面でジョークを打ってきた。
「あぁ、良かったふざけてるだけなんだ」と本気で思った。

今考えるとこれは口を滑らせたんじゃないか。
それか、少しは気づいて欲しくてヒントを出してたのか。
いつもの通り、Kuriはすぐにもう寝るね。といっていなくなった。
Good bye my small friend
Sayonara
Baba 


と言い残して。

もし、このころKuriがもっと度胸があって、もっと鈍感であればもっと率直に伝えれたことがあったかもしれない。
Eくんとの心の遠距離を感じてる間、もし何かがあったら私はKuriの別の大切さに気づいたかもしれない。
もし私が目の前のことから目を逸らさずに、受け入れる姿勢にいたならまた別の「未来」が私にはあったかもしれないとさえ思う。








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