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新しい人生の始まりへと導いた旅 (#忘れられない旅)

アメリカ
2016年。20年間連れ添った夫の死は、自分自身の死でもあった。

それまで生きがいを感じていた仕事が急に色あせ、熱中していたお稽古ごとに興味を失った。居心地のよかった家のそこかしこに夫の面影が浮かび、住んでいるのがつらくなった。父親の最後を見届けるため帰省していた息子は、大学の寮へ戻った。

「新しい人生を始めなければ」とわかっていても、何をしたいのかわからなかった。深い霧の中に、ポツンと一人取り残されたようだった。

ここにいてはダメだ。

それだけは、はっきりとしていた。

どこかへ行こう。

パソコンの画面で世界地図を開いてみる。視線はアジアの上をさまよい、インドで止まる。

そうだ、インドへ行こう。これまで学んできたヨガとアーユルヴェーダを、本場の地でさらに探究してみよう。

インドを訪れたことはなく、少し怖い気もする。インドを旅した友人たちが、現地でひどい下痢になった話を覚えている。旅行者の後を執拗に追ってくる、貧しい子供たちの姿が目に浮かぶ。

それでも「これまでと全く違う体験をしたい」という気持ちと「これが自分の行く場所だ」という直感が、私の目をインドから逸らせない。とりわけ南インドには、アーユルヴェーダ発祥の地ケララや、ヨガセラピーで名高いクリシュナマチャリャ・ヨガ・マンディラムを誇るチェンナイがある。

南インドにフォーカスしていると、海の向こうのスリランカに目が止まった。

「スリランカって、すごくいいよ」と以前友達が言っていたのを思い出す。仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教が共存していて、美しい寺院や教会が、北海道より小さな島国に点在されているという。横たわった大きな仏像や山腹に広がる美しい紅茶畑を眺めながら「スリランカへも行こう」と決める。

それから、日本へも帰ろう。春の京都を久しぶりに訪れてみよう。時間ならたくさんある。旅に出ている間自宅を貸せば、旅費代もまかなえる。

夫の死後重く沈んでいた心が、少しだけ軽くなったような気がした。

インド
それから2ヵ月後、私は南インド、チェンナイの活気に満ちた通りを歩いていた。旅に出れば夫を失った痛みが薄れるのではという期待も虚しく、行き交うトゥクトゥクの騒音や人混みに、消えない悲しみがついて回った。 店で見かけたガネーシャの木彫りは夫からのプレゼントを、カレーの匂いは、私たちが好きだったインド料理店を思い出させた。ガタついたバスの中にも、孔雀が歩く村にも、彼の姿があった。

喪失感という真空にはまらぬよう、私は毎日の日課をこなすことに専念した。日の出時の散歩と朝食前の瞑想、午前中のヨガクラス、午後にはアーユルヴェーダの勉強、夕暮れの散歩、夕食後は息子や友人へメール、寝る前の日記。

毎晩ベッドの中で、異国でまた1日終えられた事を祝った。悲しみに押しつぶされそうになると、座って目を閉じ、深呼吸をして、痛みから逃げるのではなく、痛みへと心を開いた。嗚咽しながら、感情が高まり、力強く膨張し、ピークに達し、やがて退いていくのを眺める。それは辛いプロセスだったけれど、繰り返すほど苦痛と向き合うことに慣れていった。

インドでの暮らしに馴染んでくると、電車に乗って違う土地を訪れたり、宗教行事に顔を出してみた。トリッシュールでは、神猿ハヌマンをかたどった巨大な山車やマリーゴールドで飾られた象が、耳をつんざく音響に合わせて行進していた。チェンナイでは自然5元素の「火」を象徴するバラタナティヤム舞踊を、コチでは「風」を象徴するモヒ二アッタム舞踊を観覧した。奇抜な面や衣装をつけた男たちが取り憑かれたように舞うテイヤムの夜祭も、ケララ州の小さな村で見た。すべてが新鮮な驚きだったが、私の心を踊らせてはくれなかった。彩色豊かにそびえ立つヒンズー寺院の門塔も、リズミカルなカルナーティック音楽も、ただ私の前を通り過ぎていくのだった。

インドに来たのは間違いだったのかもしれない。

しかし、喜びへ固く閉じていた心にも、日常にある何気ない美しさや優しさが染みてきた。

睡蓮でいっぱいの池、沈んでいく杏色の太陽、完璧な円形に体を丸めて眠る犬たち。トリッシュールの祭事で「遠くから来たのだから」と、招待客のみの観覧場所に入れてくれた係員。道に迷った私のために、タクシーを捕まえて料金を前払いしてくれた男性。

豊かな自然や人々のいたわりに支えられながら、私は夫と昔の自分を失った喪失感を悼んだ。マドゥライのミナクシ・アンマン寺院の暗い回廊で泣きじゃくった私を、ヒンズーの神々だけが、じっと見守っていた。

スリランカ
スリランカでは悲しみがまだ暗い影を落としていたけれど、仏教寺院ではわずかな時間ながら、安らぎを感じることができた。白い服を着た参拝者が仏像に蓮を捧げる光景に癒され、お線香の香りに落ち着いた。

スリランカの名高い仏教寺院は、たいてい高い丘の上に位置している。長い階段を一歩一歩上り詰めた者だけが、仏陀の足元を拝むことができる。それは人生に似ているかもしれない、と仏教伝来の地・ミヒンタレーの石段を登りながら思う。頂上で迎えてくれたのは、青空を背景に浮かび上がる、巨大な白い仏像。指を揃えて右手を上げたムードラは「恐れずに安らぐ」ことを象徴する守護のポーズだ。

恐れずに、安らぐ。

自分は守られている、という強い安心感に包まれる。潤んだ目に、そよ風が渡った。

翌日は、世界遺産のシギリヤロックを訪れた。「天空の宮殿」がそそり立つ花崗岩の頂上に築かれたのは、5世紀のことだ。巨大なライオンの足をかたどった石像の間を登ると、一段一段の間に隙間がある、勾配の急な階段が天に向かって続いていくのが見える。躊躇して足を止めると、後ろに観光客の列ができてしまう。

どうしよう。

高所恐怖症の気がある私には高いハードルだけれど、ここまでせっかく登った後で引き返すのは惜しい。

恐れずに、安らぐ。

右手を掲げた白い仏陀の姿が脳裏に浮かぶ。一歩ずつ、登るだけだ。下を見なければいい。後ろを振り返らなければいい。

度胸を据えて階段を登り出す。

一段、また一段。次の一段、また一段。

やった! 頂上!

見知らぬ人に自分のスマホを渡して、写真を撮ってもらう。地上からたった200メートルほどの高さに立つ自分が、ヒマラヤを制覇した登山者のように誇らしい。スマホに向かってポーズを取ってから、夫の死後初めてはしゃいでいる自分に気づいた。

旅に出てから、すでに2ヶ月が経っていた。

日本
「おかえりなさい」

成田国際空港の入国審査官が、私の差し出すアメリカ旅券にスタンプを押しながら言った。すでに人生の半分以上をアメリカで暮らしている私を、日本は両手を広げて迎え入れてくれた。「ただいま」と胸の中で呟いて、入国ゲートをくぐる。

私は古都・京都の静けさと優美さに存分浸った。訪れるすべての寺、神社、庭園が、癒しのエネルギーと美の魔法で私を包み込んでくれた。言葉にできないほど、ありがたかった。

ある早朝、私は静寂に包まれた寂光院を歩いていた。12世紀に皇后から尼となった、建礼門院(平徳子)の住処として知られる寺だ。平家一族は皆、壇ノ浦の戦いで命を落とした。建礼門院は後を追って自害しようとしたが、助けられて京都に連れ戻された。当時の風習に従い尼となり、家族の冥福を祈って余生を過ごした。

寂光院に佇む尼に、自分の姿が重なる。愛する人を失った深い悲しみが、1000年近い昔に最高権力の座にあった建礼門院、そしてこの世のすべての弔う女たちと自分をつないでいる。

大原の散策を続け三千院を後にすると、褪せた朱塗りの橋の前を、一匹の蛇が横切った。

それは私の夫だった。

その時、温かな優しさ、思いやり、愛、感謝の泉が湧き上がってきた。それは私の心の厚い壁を和らげ、溶かし、金色の光となって、全身に広がった。

その瞬間から、私は新しい人生を歩み始めた。

Photo by Pham Thoai

旅好きな私はいくつもの国や街を訪れ、それぞれの場所で素晴らしい思い出を作った。それでも「忘れられない旅は?」と尋ねられる時、真っ先に浮かぶのはこの巡礼の旅だ。

写真:クレジット表記してあるもの以外はすべて筆者による撮影。


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