私たちは山口一郎にはなれない
サカナクション、先日の大阪城ホールで念願の初参戦を果たし、見事スローモーションでおえおえ泣いてきました。
いつかセプテンバー(札幌ver)を生で聴きたいなあ。
さて、このマシュマロを頂いてから早数ヵ月…
何度も書いて消し、を繰り返してきました。
答えは「絶対ダサくないよ!!何言ってんだい!!」と最初から決まっていたんですが、正直、本当に正直なところ、目まぐるしく変わるトレンドに連動して、ほぼ同じ服を着た人たちが街中に溢れる現象にしょんぼりしてしまう自分がいるのは何故だろう?と悩んだから。
トレンドを見て「良いな」と思ったんだろうし、そもそも「人と同じだと安心する」という価値観の人もいて、大多数の人と同じ格好をするということ自体がその人の自己表現であるはず。それなのにどうしてモヤモヤするんだろう、と。
そしてわかったのは、私は「感性を搾取される」という行為についてものすごく怒りを感じているということ。
トレンドって経済を動かすために誰かが意図的に作り出したものなんですよね。
本当は色々な刺激を受けて、感じて、悩んで、そうして表現していく瑞々しい感性を誰しもが持っているはずなのに、誰かに「これがお洒落なんですよ」と当てがわれて、感性を搾取されるということに対して「本当にそれでいいんか!?!?」という非常にお節介な怒りを感じているんだと思います。
(逆に、人と違うことが必ずしも良いわけではない、というのは日々自分に言い聞かせています…人と違うことが個性ではないなと。自戒。)
私自身もモデルのKanocoさんのファッションに憧れて、スタイルブックを買い、ブログを読み漁っていた時代があります。
同じBEAMSのベルトを買い、似たような白Tシャツとストレートデニム、足元はあえてのビーチサンダル、カゴバッグ…というほぼほぼコスプレみたいな格好をしていました(超楽しかった)。
でも私がどれだけKanocoさんのファッションを真似したとして、果たしてKanocoさんになれるのか?と言われたら、当たり前ですが答えはNOですよね。
それはKanocoさんが素敵だから私には到底及ばない、という意味では決してなくて、
私がKanocoさんになれないように、Kanocoさんも私にはなれないということ。
出会ってきた美しいものや心揺さぶられる経験、言葉にすることが難しいほどに悲しかったできごと、そういった全てを抱えて存在するのが「自分」だと思います。
マシュマロ主さんはきっと、サカナクションに出会い、心動かされ、山口一郎さんのスタイルに憧れたマシュマロ主さんの感性を、ファッションで表現しているんじゃないでしょうか。
それはただトレンドに流されるような感性の搾取ではなく、圧倒的な自己表現ですよね。
ダサいわけがないんです。
搾取どころか感性の雄叫びじゃない?感性の雄叫びって何?
だからマシュマロ主さんには安心して心動かされたものをどんどん取り入れて頂きたいです。
どれだけ山口一郎さんを参考にしても、マシュマロ主さんが山口一郎さんになってしまうことはありませんし、仮に山口一郎さんがどれだけ願ってもマシュマロ主さんにはなれないのですから。
お友達さんはもしかしたら「真似なんてしなくてもそのままで素敵だよ」と伝えたかったのかもしれません。
だから優しく手を握って、「"生きる"ということがそもそも先祖の真似事」って言ってあげてくださいね(仲良くしてね)。
ちなみに私はハシカンみたいな顔になりたいな~~~~ってずっと思っています。
ただハシカンも、私になりたくても…なれないんだよね…へへ…
皿 割子