幽霊、2023年11月の仕事。
11月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。あと、『現代ビジネス』の『時代観察者の斜め読み』も掲載された。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
11月号の『時代観察者の逆張り思考』は予告通り、「続・カルト宗教としてのジャニーズ事務所問題」。
雑誌のほうもジャニーズ事務所特集になったので、10月号に続いてのコラムだけども、もうジャニーズ事務所自体で語ることもそんなになかろう、ということで、コラム自体は周縁の話へシフトしている。
現代ビジネス『時代観察者の斜め読み』
こちらもマクラはジャニーズ事務所と村西とおるの抗争だけども、中身は「裏本と写真週刊誌とアダルトビデオの昭和史」。チンペイ谷村新司追悼も入れたので、初回より長くなってしまった……というか、執筆スケジュール調整がかかったのはこのせいで、二ヶ月分の計4回分が一挙掲載になった。
『サイゾー』コラムに代わって始まったはずが、なんかえらいことになってる。
(1)出版社に圧力をかける様子をスッパ抜き!…ジャニーズ事務所と喧嘩した男・村西とおる
(2)イメージと違う!?…深夜ラジオの帝王で「ビニ本」コレクターだった頃の谷村新司
(3)芸能界と写真週刊誌とエロ本の昭和史…ゲリラな裏本が過激な写真週刊誌を生んだ!
(4)文化の最先端が「アダルトビデオ」だった時代と過激すぎた写真週刊誌の終焉
附記徒然。
批評家を退いて長期休養に入ったときに、それまでやっていた仕事を周囲の人々にのれん分けして、編プロ名義やサイトも廃止したんだが、細かく分けているから、どうも説明しづらい。
かつての担当者ということで手伝っている仕事も稀にあるが、編集者としては、新規で頼まれた仕事をたまにやっている程度だ。
6年のブランクはやはり大きい。
6年の休養明けで再び書き始めたのは、世俗から思いっきり離れていて、何もやっていなかったので、社会復帰のリハビリを兼ねてのことだった。
書くことくらいしか、できそうもなかったから。
そもそも、社会復帰できるとも思っていなかった。
退いた前後の記憶も、かなり飛んでいたような状態だったから。
〈元〉批評家という変な肩書きは、当時の『サイゾー』担当編集さんの苦肉の策だったと思う。
以前、対談連載をしていたとはいえ、ツービートで言えばビートきよし、紳竜で言えば松本竜助、B&Bで言えば島田洋八で、特に誰も覚えていなかったからな。うなずきトリオか。
自分の仕事が「これ、コラムニストじゃないか?」と認識できたのは、『ZAITEN』の連載も始まった連載4年目の2018年くらいで、それまでは何者でもない状態で書いていた。
『ZAITEN』がリニューアルで新しいコラムニストを探していて、『サイゾー』の連載を読んだ今の編集長が(当時は副編集長)、二代目担当さんに連絡を取ってきた、というのが、連載開始のきっかけ。
他にも『プレジデントオンライン』や『PLANETS』でも短期で原稿を書いていたが、『サイゾー』『ZAITEN』の二本立てになって、ようやく時評コラムが一番安定しているらしい、というのが分かってきた。
『PLANETS』はエッセイの短い連載をやった後、「批評家に復帰しろ」と言われて、丁重に断った。以後、現在に至るまで交流はない。
『批評なんてやめときな?』というタイトルの連載をやっていたのは、紛うことなき本音で、本当に嫌だったのだ。
これに限らず、批評家時代の人付き合いは、ほとんど皆無になっている。
その理由は以前にも書いたが、「批評家の才能しかないのだから、批評家に復帰しろ」と言われるのが嫌だった、というのもある。
そうかも知れないが、「他人が火だるまになっているのを見たいから火に飛び込め」と言っているようなもので、失礼極まりない。
あれはそういう職業なのだ。
世直しに興味がない……というか、世の中の自浄作用にまったく期待していないから、世のため人のためになるような批評は、書いていて苦痛でしかないのだ。
冷笑系と言われることも多くなったが、批評家を一度退いたことで、世捨て人としての自我がいよいよ確立された感がある。
そして、コロナ禍以降は『サイゾー』『ZAITEN』の担当さんと会う機会すらなくなった。
よく仕事が続いているものだと思うが、何の人間関係もないから、ああいう良くも悪くも遠慮のないコラムを書けているのだろう、とも思っている。
もう他にやることもない世捨て人だから、コラムは真面目に書こうと思っているのだが。
更に附記徒然。
最近、近しい人々から文句を言われて困惑しているのは、出処の怪しい情報で過去の仕事を語られることだ。
10年、20年と経ってしまえば、だいたいの人が忘れているから、言ったもの勝ちなのだろうが、本人はこうしてまだ生きているのだから、真偽の程を確認すれば良かろうに、と思う。
本当は過去の仕事リストを作るべきなのだが、関係者には第一線を退いているひとも多いから、はっきりと言及しづらい案件も多い。
編集の仕事は、編集者だけで成り立つものではないからだ。
近しい人々からの文句も、過去の仕事の巻き込まれ風評被害?という微妙な話なので、どうやって言及したものか、ずっと困っている。
だからと言って、黙っていると半可通に適当なことを書かれてしまうしな。
それでなくても、90年代からゼロ年代にかけても「勝者の歴史修正主義」みたいな回顧コンテンツがやたらと増えてきた。
80年代が題材だった頃は、まだ他人事で済んでいたのだが。
筆者は一度死んだ世捨て人なので回顧ばかりしているが、筆者より売れていて実績もある人々がそういう安易な自己肯定に手を出すのは、創作力の枯渇を自白しているようなものではないのか?