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大事にされるということについて

「大事にされる」ということがどういうことかというと、「自分の嫌がることをしない」でいてくれることに尽きる。

決して私の嫌がることをしないひとって、出会った中で実は本当に少ない。相手の嫌なことをしないってそんなに難しいことなの?と思うかもしれないけど、どうやら大抵の人には難しいらしい。

機嫌を損ねるとわざと相手が不快な態度をとること
自分がセックスしたいから相手が嫌がっていそうでも押し倒すこと
押せば通ると思って相手に無理をさせる我儘を言うこと

そういうことをしないでいてくれるだけで私は救われた気持ちになるし、少なからず大事にされていると感じられる。

モデルとして予めヌードなしって伝えてあるのに脱がせようとするカメラマン
嫌って言ってるのに無理やり押し倒す男の人
体調悪いと伝えても会おうと言い張る恋人

私の気持ちなんて本当にどうでもいいんだろう。
自分の「こうしたい」で頭がいっぱいだったんだろう。性が関わることに関しては特に自分の尊厳を奪われたような気持ちになる。
舐められてるとしか思えない。
見下されてるとしか思えない。
相手の気持ちが分からないならその自己中心性は、
ピアジェの三山課題が達成できない子どものように
未熟な精神を感じる。

我慢するだけでいいんだよ、相手の嫌がっていそうなことくらい分かっているでしょう。
私は「したくない」と、「気分じゃない」と
「そういうことはしないことにしている」と
「今はできそうにない」と
言葉で伝えたはず。態度でも表したはず。
気づいているくせに、するんだよね
自分の欲求の方が私の気持ちよりも大事だから。
私が我慢強いことを知っていて、つらさや苦しみに慣れていることを知っているから?許してもらえると思うから?怒らないと分かっているから?

だからそういうことをしないでいてくれる人のそばにいると私は安心する。私にとって甘えるということは、きっと、我慢しなくていい ってことなんだと思う。

どうか、私の嫌がることをしないでいてくれる優しいひとが、私みたいに我慢で押し潰されず、誰かに大事にされますように



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