「正しい」からの脱却。「楽しい」方が良いよね!
なんだか最近、良い調子!なんて思いながら、外を見たら虹が!しかもダブル!!めったにお目にかかれない虹が2本も見れるなんて、なんて縁起が良いのだろう。
ここ何日か、気分良く過ごしている。思ったように事が運ぶというか、望んでいた通りの現実が起こるというか。
壮大な出来事があったわけではないけれど、小さな「こんなのあったら良いな」「こうしたいな」が驚くように叶っていて、1人ニヤニヤしてしまう。
それは多分、自分の心持ちというか、物事に対する意識の仕方が変わってきたからなんだと思う。
例えば、人間関係で言うと、他人との関係性や相手の気分・行動にモロに影響されていた私が、それを他人事と受け止め、自分に反映しなくなったこと。
「私の感情は相手にコントロールされるものでなく、自分でコントロールし守るものだ」と自分に言い聞かせ、それを心がけていたら、相手に流されることがなくなってきた。
実際、まだモヤっとしてしまうことはあるけど、その対処法もわかってきたから大丈夫! 自分が更に成長するための通過点だと考えると、まだまだ成長できる自分にちょっと嬉しさを感じる。その時点で相手にも感謝できる。
そこを乗り越えたら、もっとブレない自分ができていき、いつかはモヤモヤやイライラを手放せる時がくる予感!
40歳過ぎたらもう立派な大人で、悩んだり凹んだりはなくなると思っていたけど、そんなことは全然なくて、「これで良いのか?わたし」と思いながらずっと生きてきたけど、「まだ成長できるんだ」や「ようやくわかったぞ」という気付き(悟り?!)が増えてきて、なんだか楽しい今日このごろ!
他にも気付いたことがあって、、、
「頑張らなきゃ!」がとにかく強い私は、ずっと【正しさ】を追い求め、他人にも要求してしまうことが多かった。子育てが始まってからは特に【正しい】を教えなければと必死になっていた。
でも、これって結構しんどい。
何がしんどいって、好きなことを楽しそうにやっている人に苛立ってしまう事。
私が苦手だな、嫌だな、(「羨ましい」も含まるかな)と思う人って、たいていそういう人で。結局は自分がそうしたいのにできていないから、相手に対して怒りとして現れてしまう。
しかも、他人に要求してしまった【正しさ】を自分で壊すのって難しい。正論って厄介なのだ。
だから、【正しさ】の追求をやめてみた。
【好き】【楽しい】で選ぶ!
本当はやりたいのに、気になるのに、妙なプライドや意地で拒んでいた「実はやりたかったこと」を、どんどんやってみる。
(それは、本当に些細なことで、食後の片付けをほったらかして、録画していたテレビを見るとか。皆勤賞だった子供の習いごとを、子供の希望で休ませるとか)
世の中の【正しい】とされている価値観で動く。人の目を気にする。他人の基準に合わせて行動する。人からの評価を気にする。
あー、これって自分の気持ちが全然入っていない。
そんなことやっていても、楽しいわけがない。
私はもっと楽しみたい!と心から思う。だから、楽しいことをひたすら考えるようになった。「何が楽しい?」「いま何したい!」「○○があったら良いな~」と。
気分が落ち込んでいる時、それでもテンションをあげようと口角をあげて笑顔を作ってみたことが今まで何度もある。「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいんだ」と何かで読んだことがあったから。
たしかに、効果はあるかもしれない。
でも思う、楽しくて自然と笑顔になっている方がずっと良い。
必死に口角をあげるのでなく、常に幸せな方へ、楽しい方へ自分を持っていける人でありたいなと思う。
そして、少しずつそれが出来ている自分が嬉しい。
心の持ちようなんだろうなとつくづく思う。