しもの田
小説(小話)以外です。
即興小説トレーニングとかツイッターサイズとか。
短編小説のようなものたちです。
食品添加物を沢山摂取した人間の死体は腐らないという話を知っていますか? 僕は昨日、電車の中でそんな話をしている学生たちを見かけました。思わず聞き耳をたててしまったのです。こうやってよくわからない知識が毎日蓄積されていって、重要なことを忘れていく人生を過ごすのかもしれないなあと思うと、なんだかそれはそれで楽しいような気がします。そんなことを、新生活が始まったばかりで考えてしまう僕は、まだ心が脱皮できていないのかもしれない。でもそれが良いことか悪いことかは、これから僕が考えて
2024年8月、贅沢にも、さらば青春の光、バナナマンという誰もが知るコント師の単独ライブに2週連続で行ってきた。それぞれの単独、構成や舞台の作り方の違いがよくわかって楽しかったので、メモを残す気持ちで。 そもそもネタは全然違って当たり前なのと、円盤出るまでネタバレは避けた方がいいかなと思うので特に触れません。 ●さらば青春の光:さらば青春の光単独ライブLIVE 「ラッキー7」 ・会場は日本青少年ホール。キャパ約1200。 ・コントとコントの間はブリッジV無しの超純水なコン
2024年3月16日、17日にKアリーナで開催されたハイパーゲーム大会を観に行ったので日記というか吐露。 まず、2023年の第一回のときはSS席かS席が取れたら行く、A席なら行かない、ときっぱり決めており、当たらなかったので家で観た。それでもとても楽しかったし、豪華な出演者にドラマのような展開と盛り上がりで、またあったら次こそは行きたいなと思っていたら、まさかの翌年にも開催。しかも「もう二度とやらない、最後」などと配信で話していたので、これはどうしても行かなくてはならない、
アリアスター監督の新作、「ボーはおそれている」を観た。とりあえず2回観た。 一回目はジャパンプレミアの日本最速上映の試写会で、監督の舞台挨拶付きで。 二回目は一般公開後、重い腰をあげて。 アリアスター監督の作品だから、アリアスター監督を一目観てみたかったから、そのくらいの理由で先行上映に行った。ちなみにチケットは二分くらいで完売したらしい。ミッドサマーが日本で流行りすぎ、愛されすぎたのが効いたのかも。なお私もミッドサマーのことは多分おそらくどうやら多分愛している。そしてミ
ある日突然、「此処にいなさい」と言われて全てが始まったように思う。決して自ら来たわけではない。紐を繋がれて、此処の制限の範囲で、なんかしてることだけを許される。強く制御されている。 此処ではないところに行くことはできるようだけれども、そうすると此処には戻れない。この理不尽さに耐えかねて、此処にいなさい、と言われた意味を考えては、此処に来なければ辛いことも苦しいこともなかったのに、と嘆くこともある。でも、此処にいなかったことを想像するのは、此処に長くいればいるほど難しくなっ
今月2回程、友人宅でボドゲをやる会が開かれた。 もともと付き合いが長く、定期的にオンラインで、ときにはオフラインで、雪山人狼やらボドゲやらいろんなもので遊んでいた大学時代の友人らで、ゲームが好きなメンバー。 その中の一人が、大学時代やってとてつもなくハマった経験がある「ドミニオン」をやりたい、と言って、気づいたらスターターセットプラスアルファを買い揃え、500枚を超えるゲームカードをスリーブに入れると言う作業までこなし、準備を万端に整えてくれていた。 ドミニオンとはドミ
スピッツの新盤『ひみつスタジオ』があまりにも良かったのでアルバムレビューみたいなものです。 スピッツには捨て曲がない、というのは私が小学生の頃から思っていることで(生意気な視点ではある)、そりゃあアルバムはまるっといいのが当たり前のことなんだけれども、3年半ぶりのアルバムである『ひみつスタジオ』、あまりにも良くて、叫びながら何か動き出さないとどうにかなってしまいそうだった。なのでとりあえず手を動かした。 スピッツの新盤なんて、とりあえず何も言わんでもみんな聴くだろうし、宣
こちらではしばらくぶりです。ブログ更新で今年一年の話を軽く。 http://shimodoro.hatenablog.com/entry/2020/12/28/184114
本を一冊読んだ後、本当であれば、少し時間を置いて噛み砕くのが良いような気はしている。しかし、一応自分の中での約束として、読後はまっさきに、とりあえず短く文章で「読書メーター」に感想を残しておくというのを、多分10年近く続けてきた。 いつぞやは年間100冊読んでいたこともあったけれど、近年は本を読む時間が明らかに減ってしまったし、読む速度もやたら遅くなってしまっているので、自分がもっと本を読みたくなるためにも、自分の短文読書感想文をいくつか振り返ってみようというやつ。基本的に
暑いときは暑いしか言えなくなる呪いがある。 暑い、と勝手に漏れる声はあまりにも情けない囀りなので、僕は僕に怒り、次にこの時代に冷房が効いていない部屋に怒る。これだから田舎の町医者は、と偏見を込めてぶつくさ言ってみるも、田舎の町医者しか知らないのが僕であり、その偏見の矛先だってきっと、僕が田舎者であることに着地してしまうのだろう。暑い。 残念ですが、と言われて、ええ、残念ですね、とはならない。そもそも、残念ですが、は中途半端だ。その続きには何がくるのが正しい? 家の冷凍
父の肩には今も六発の散弾が散らばっている。 暴発した猟銃。九十八発の弾が父の肩にばらまかれた。本来その銃口が向かうはずであった野生の鹿は、銃声を聞き逃げていったそうだ。しかし、倒れ込む父の身体を、一瞬だけ鹿の目が見下していたことを、父は記憶から消せないでいる。それはわずかコンマ何秒程度であったはずだが、スローモーションのようにゆっくり、そして何度も脳内再生された。生きているか死んでいるかわからない、剥製のガラス玉のように光った鹿の目が真っ赤に染まった父の身体を見下ろして、
飲むのはちょっと待って、欠かせないものがある、と言ってキッチンの奥に入ったマスターが戻らないまま、すでに三十分が経過した。客は私だけ、店員もマスターだけ。マスターは間違いなくこのキッチンの奥にいるはずなのに、その気配すらないので、店内には私一人と冷めてしまっている紅茶だけが存在しているように思えた。とはいえ、黙って出ていくには少し忍びない。手元には万札しかないので、お釣りはいらない、と置いていくには勇気がいる。それに、この店には今日入ったのが初めてだから、今日はじめましての
「炬燵」 おばあちゃん家の掘り炬燵から落ちる夢をみたことがある。落下した先は柔らかい床で、見上げると、「天井に窄んだ口みたいに小さな穴があって、袋のような形に広がってる」頷き、はっとして振り向くと父は真顔で、何処か遠くを見たままぽつりと呟いた。「知恵袋って、知ってるか?」 「ドーナッツ」 ドーナッツの真ん中を食べれば幸せになれるという噂を信じて、近所の揚げ物屋のおばちゃんに詰め寄った。おばちゃんは油で汚れた割烹着を手ではらいながら、「大人になったら自然と見つかるさ」と言
私は生まれつき女で、これからもずうっと女でいるのだとわかったとき、空に凧をあげたいと思った。 蝉の形をした凧だ。小さい頃、近くの公園でお祭りがあったときに見たことがある。リアルな蝉の形と、そこに書かれたコミカルな顔がミスマッチで不気味だった。丸くぎょろんとした目で、私は空の上から見下ろされる。だんだん高度があがっていくと、全体像がただの円になり、身を任せて雲の中を流れていく。頃合いを見計らったようにまた見下ろされ、そのまますとん、と草原に墜落する。今度は私がそれを見下ろす。近
< あいまいみー、えーちゃん > あまりよく覚えていないし、思い出す必要もない。しかしこれは私の少しの欲望が、記録をまねいてしまうので、話す。 あみこのことは、イニシャルがAなので、えーちゃん、と呼んでいた。 いや、厳密にはイニシャルだけの話じゃなくって、「あみこって名前さ、なんかどうしても網を連想するじゃない。なんかエリカとかエリザベスとか、そういうお嬢様っぽい名前が良かったなあ」と言うので、それなら、えーちゃんでどうよ、ということで合意したんだった。忘れてしまったけれど
私の町では必ず毎日一人が死ぬ。一人以上が死んでる日もあるのだろうけど、一人は確実に死ぬので、そういう言い方になる。 とりあえず、毎日必ず誰か一人が雷にうたれて死んでしまう。それがこの町の、普遍でないが、不変なことだ。 雷はあまりにも至るところに、確実に一人の命を狙って落ちる。その狙いはあまりにも正確すぎて、スナイパーのように一人の命だけを奪う。一方で、周囲のものや無生物には何ら影響を及ぼさない。ただ一人の心臓を止めるだけだった。 傾向分析をすればするほど、様々な面で