10年遅れて生き急ぐ
「もっとゆっくりしても良いんじゃないか」
「何をそんなに生き急いでるんだい」
「時間は逃げないよ。ゆっくり行こうよ」
そんな声をもらい続けている。最近は特に。
僕がこの半年間にこだわるのは、多分3年分(当事者比)は動いてるからだ。
9月に29歳になった。
正直、冷や汗しかない。
根本治療があと10年早ければ、ここまで焦らなかったと思う。
20代最後。
アクティブでクリエイティブな10代20代の人たち。
ハツラツと世の中を動かす30代40代の人たち。
基盤からどっしりとしながら最前線で活躍する50代60代の人たち。
自身の経験やノウハウを後継に伝えつつ、より新しい何かを探し求めてる70代80代の人たち。
今を楽しむ。今を楽しみ続けるためには、自分の好きや楽しいと思うこと、できること、役に立つことを経験から作っていってるのだと思う。
僕は好きや楽しいと思うことがわからない。
できること、役に立つこともはっきりしていない。
その理由も最近までわからなかった。
圧倒的なまでの「経験不足」
無理ができない。
周りを気にする。
怠惰。
この4つが何よりも重しになっていた。なかでも4つ目が一番厄介だった。
自分について考える時間は、人よりもあったはずなのに。
自分ができることは何かわかっていたはずなのに、頑張らなかった。
その代償が今、ここにきて壁になっている。
体のことや周りのことなんて、正直言い訳にしか過ぎない。
結局は自分が怠惰だったから。
そりゃ、本気で取り組んだことが体調不良でおじゃんになったことは一回や二回じゃない。
次に挑戦できる環境はたくさんあった。
にもかかわらず、僕は現状に甘んじていた。
その結果が、これだ。
30も手前になって、何一つ武器がない。
非常にまずい。
それでも僕は自分を動かせなかった。
理由はわかった。
自分の言い訳にとらわれてるからだ。
「体が」「経験が」
この2つがある限り、僕はダメだ。
気力!やる気!根性!
この3つもたくさんたくさん足りない。
でもまだ低いけど、「体が」治る可能性が出てきた。一番無理だと思っていたものが解消されるかもしれなくなった。
そこからの人生史上最高の体調良好期。
経験積むしかあるまい。
周りから見れば「こいつの行動範囲大丈夫か?」と思われただろう。
そりゃそうだとは思う。
漠然と人生40年ぐらいかなとか思ってたものが、90まで生きられる可能性が出てきちゃったんだから。
僕には無縁だったと思われた、世間一般で言われている「長寿のリスク」が湧いて出たのだから。そりゃ焦る。
「ああ、今日も生きられた」じゃなくて、明日生きるには、1年後、5年後、10年後、20年後、30年後…
自分はどういう人になりたいか、なんていう就活の自己分析みたいなのが必然的に必要になっちゃった。
答えはでてる。
というか、ずっと前からわかってた。
目を背けてただけ。
誰かのために、自分は何ができるか。
そのためにできる工夫はなにか。
何に必死になればよいか。
これなんだと思う。
今僕には守る人はいない。
それなら、自分の両親が不安に思わないようにしたり、一緒に活動してくれてる人たちがより活動しやすくなるために、楽しいって思えるものをしていくために、自分が頑張れば良い。
もう外堀は埋まってしまった。
一般と同じレールに乗ってしまった。
廃線が決まっている一本の快速列車から、皆が押し合いへし合い乗る満員電車に乗り換えようとしてしまっている。
それも、今まで肌見放さず持っていた、
たくさん入るはずだった
今後もたくさん入るかもしれない
「医療費」という名の債権が入った、超高額で買った特大のリュックと
生活し続けるための費用を入れるための小さなカバン。
この2つを持って。
この電車はどこへ向かうのか。
乗ったほうが良いのか。乗らないほうが良いのか。
止まる駅で他の乗り物に乗るほうが良いのか。歩いたほうが良いのか。
乗り続ける場合は、どうすれば乗り続けられるのか。その必要はあるのか。
数年後、僕はどこへ向かうどの乗り物に乗っているのだろうか。
そのぐらいは自分でわかるようになっていたい。
最高速度で走っている満員電車のドアにギュウギュウ詰めにされ、フッとドアが開いて「あっ」とならないように。
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