はたらかないを仕事に
はたらくを自由に、というコンセプトで書くには的を外したタイトルかもしれない。
ここ半年ほど哲学カフェというものにハマっていて、参加・運営をしている。
その際に、「この人ははたらいてはいけないだ」という人に出会った。
アーティストか、思想家か、作家か。
あえて言えば「創造的な活動」をしている人だ。
ただし、それでお金を稼いでいるわけではない。
生活費は同棲しているパートナーからもらっている。
世間的に言えば眉をひそめられる「ヒモ」だろう。
ただ、彼の生み出す絵や文章、思考のセンスは何事にも代え難く、そして美しい。
巷に蔓延している「創造的活動を強制されて生み出されたモノ」とはレベルが違う。
「美しい」と思えるものをありのままにつくりだすことができる。
彼をみて、僕は過去のアーティストや作家、思想家、哲学者たちに想いを馳せた。
彼らの中には、その知的生産を支えてくれるパトロンがいた歴史がある。
彼らにとって価値を生み出すのは技術ではなく、思考。
それによって生み出された、内側からの圧力による制作物に他ならない。
話を戻す。
彼は人より体力がつきづらい。
彼が身体的労働をしたとするならば、疲労から思考能力は明らかに鈍る。
これは社会にとっての将来的な損失だ。
彼が安心して思考できるように、何の心配もなく創作に熱中できるように。
今こそパトロンによる「はたらかないことを仕事に」できることを願ってやまない。