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教会とこどもの間で生きる日記❸

キリスト教の教会が日常にある生活

私は小学生の子2人と保育園の子1人の3人の親だ。キリスト教の牧師(日本キリスト教団所属)でもある。教会が日常にある生活ってどんなものか全く想像がつかない人が多い中、私の生活をのぞいて見てもらおう。そんなに世間と変わりはないと思うけど、でも、ちょっと違うところもあるかも?

2024年末〜2025年のお正月

2024年11月から続いたあまりの忙しさと目まぐるしさが年末でようやく一区切りついた。クリスマス付近に一番下の娘がインフルエンザになったことがダメ押し。すごくハードだったが終わった。私も冬休み。といっても教会は年末年始でも日曜日になれば礼拝がある。私は平日に休みをもらい、残りの平日は教会に詰めて事務仕事や礼拝の準備をしている。これが意外にすることがあるんだ。
けれど年末年始の平日は冬休み。家でごろごろしてもいい。もう何もしたくない。毎朝私が一番の遅起き。早寝遅起き。布団からいつまでも出てこない私を起こしに娘がやってくる。ものすごく幸せ。この幸せが聖書のいう「神の国(天国)」か?
(いや違う…けれどきっとこんな幸せもあるに違いない)
年末は初めて家族で焼肉を食べに行った。娘も5歳になる。肉をジュージューと焼いてもヤケドしないだろう。実は焼肉屋さんの金券をいただいたのだ。そのご厚意に思いっきり甘えて家族で焼肉。上の息子は肉の美味しさに感動していた。真ん中の息子は「おれ、肉嫌い」と言ってビビンバを食べていた。ええよ、ええよ、肉食べるな。その分私が食べるから。ものすごく幸せ。この幸せが聖書のいう「神の国(天国)」か?(あながち外れていないはず。なぜなら聖書によく登場する神の国のイメージは宴会なのだ。美味しい肉がたくさんある(意訳)なんて書かれていたりする。)
肉を食べない真ん中の息子、離乳食時代から偏食で泣かされてきた。まだあの時は離乳食を手作りしていた私。(3人目の離乳食は一切手作りせずにレトルトオンリーに踏み切った。レトルトいい!)何を作っても食べない。食べなさすぎて悩みまくったあげく断乳したがそれでも食べない。(断乳するとパクパク食べるとよく言われるが息子は当てはならなかった。育児書通りにならないのが子育てあるある。)
唯一さつま芋をつぶしたものだけ食べた。この息子はしばらく粉ミルクと芋だけで過ごした。それでも成長曲線を大きく上回る大きさで成長。上の息子に比べると驚くほど病気もしない。私は思い知らされた…。上の子の時は頑張って規則正しく生活をさせ栄養バランスを考えて食べさせても、病気をしまくっていたのにこの違い…子によるとはまさにこのことか。
成長と共に食べるようになるもので小学生の今では給食もよく食べている。しかし家では安定の偏食。唐揚げ、ハンバーグ、餃子…この繰り返し。野菜はいつもミニトマト。本人は「飽きた」と言うがおめーが食べないんだろうが!
新しいメニューを出せばまず匂いを嗅ぐ。そして匂いを嗅いで「食べない」と判断する。何なん、その野生の勘。それでも学年で2・3番目の背の高さらしい。真ん中の息子のあの野生的な勘と本能で生きる姿には泣かされる時もあるが、余裕がある時は面白いなと思う。きっとこういう子の方がたくましく生きるんだろう。

さてお正月は子どもたちと一緒にNintendo Switchでマリオカートをして楽しんだ。ファミコン、スーファミ、プレイステーションと歴代のゲームを遊んできた私。久々にコントローラーを持つが下手くそになった。息子に勝てない…

1月5日(日)エピファニー

2025年初めての礼拝。日曜日の礼拝は10時半から。日本キリスト教団の教会は大体どこも礼拝は朝10時15分からか10時半から。これ、伝統なのかな?けれど日曜日の朝早くから教会に来るってハードルが高いと思う。こういうところから教会離れはあるのかな。昼食をみんなで食べて、それから礼拝としたら来る人は増えるんだろうか…?どう思いますか、これを読んでいる皆さん。
キリスト教の暦では毎年1月6日は「公現日(エピファニー)」と定められている。この日が教会のクリスマスシーズンの終わりという伝統。だからお正月でも教会にクリスマス飾りが飾られているのは、そういう伝統だから。6日に一番近い日曜日にうちの教会ではいつもクリスマスの飾りを片付ける。クリスマスよ、しばらくさらば。本当にしばらく来ないでいいよ。だいーぶ後になってから来てほしい。

1月6日(月)

この日初めて整骨院に行った。教会の人に紹介してもらったのだ。教会ってこうやっていろんな情報交換の場所になっている。最近教会でホットな話題は、やはり介護のこと。私はまだ介護ではなく子育てに奮闘中だが、教会のあちこちで介護について情報交換されるのを聞いて事前学習中。しかし介護の問題は本当に家族だけでは解決できない。どれだけ情報を集め、頼れる人がいるかにかかっている。

さて私はずっと猫背で肩と首がゴリゴリ。そのせいで40代に入ってからひどい頭痛も頻発させてきた。実は12月にその頭痛があまりにもひどくて寝込んだことだあった。これはいけないと整骨院を紹介してもらった。というかちょっと聞いてみただけだったのに、もう行く!という雰囲気になっていた。行くしかない。神様がそう言っているかもしれない。こういう風に考えるのはキリスト教徒あるある。
整骨院の扉を開けるなり「おはようございまーす!」という体育会ばりの大きな挨拶が聞こえてきた。体育会の雰囲気…いたたまれない。もう帰りたい。けれど扉を開けたのだから帰れない。
問診票を書く。職業の欄がある。空白にした。牧師とは書かない。大体どこでも私は書かない。これには嫌な思い出があるからだ…。一度車を運転している時に右折禁止の交差点で知らずに右折してパトカーにつかまった。その時警察の人に「ご職業は?」と聞かれて、「牧師です。」と答えたのは辛かった…。しかし私が職業欄に「牧師」と書かなかったのは別の思い出があるからだ。
もう15年くらい前の話だ…結婚して引っ越した時に近所の美容院に行った。牧師になる前、大学院でキリスト教の勉強をしていた時のことだ。初めての美容院で担当してくれた美容師さんが世間話であれこれ聞いてくる。「ご職業は?」と聞かれて「主婦」と答えておけばいいのに(会社員を退職して結婚、そして大学院に進学した)正直に「大学院生」と答えた。すると「何を勉強しているんですか?」と聞かれた。そりゃ流れとしては聞かれる。「キリスト教です」と答えたら美容師さんが戸惑いの表情。「えっとキリスト教って…」と次何を聞いたらいいかと悩んでいる。それでも一生懸命話題を深掘りしようとしてくれるけど会話が続かない。こちらも少し説明するが全くもって伝わらない。そりゃ知らない人にとってはキリスト教なんて雲の向こうのもんだろう。美容師さん、もういいよ。もう早く違う話題に変えてくれ。けれど美容師さんは頑張り続ける。地獄のような1時間だった。2度目は行かなかった…行けなかった。
そういう苦い経験から自分がキリスト教関係者であることを話さなくなった。だから整骨院の問診票も空欄。しかしよく考えたら私を紹介してくれた人が「私が行っている教会の牧師の人がね」と私のコリのことを相談してくれていたのだ。整骨院の人もわかっていたのに、私が職業を空欄にしているから余計に気を遣わせたな…。
私、美容院でも整骨院でも基本的に会話を楽しみたい方ではない。牧師という仕事柄、人と話すことにものすごく神経と気を遣うし、そういう訓練を受けてきた。それだからなのか、こちらがサービスを受ける方でも気を遣われていることがよくわかる。気を遣われているのが伝わってくるとこちらもしんどいので、プライベートではもうあんまり話したくない。むしろ、あちこちでなされる他の人たちの会話に耳をすませているのがとても面白くて好き。特に整骨院でおじいちゃま、おばあちゃまたちが施術されながら話していることやその受け答えを聞いて「なるほど、そういう風に返事をしたらいいのか」と勉強している。
地獄のような美容院体験の後、いろいろと美容院を探したがついに全く話さない無口な美容師さんが担当してくれる美容院に辿り着いた。ほぼ話さない。最高!気がつけば12年通っている。
整骨院もものすごく良い。頭痛が起こらなくなった。もういろいろをケアをされていく年齢だと思い知らされた。

1月某日と某日

キリスト教主義学校の礼拝に招かれてお話し。撃沈。まとまりのない話になってしまった…。もっと素直に構成すれば良かった。くどくどと話したことをどれだけの生徒さんが受け止めてくれただろうか。ごめんね。こういう日もある。
また別の日はまた違う学校で礼拝のお話。ここの学校は授業前に礼拝があるので時間はきっちり守らねばならない。大体7分のお話。脱線は許されない。ストレートにまっすぐと!失敗を活かしてお話を練ってみる。当日話してみると思った以上に時間に余裕がある。これは脱線しても大丈夫かも…と思い始めるが、あぶないあぶない、もうやめておけ私。早く終わる分には生徒さんは大歓迎だ。こちらがサービスと思ってあれこれ長く話す方が嫌がられる。

1月下旬某日

今年初めての旗当番。しかし今日は娘の保育園の遠足。朝からお弁当を作るのでいつも以上にハード。お弁当作りは分担性。おにぎりは夫。おかずと詰めるのは私。旗当番が始まるまでに全ての準備を終えなくてはならない。
息子たちに歯磨きはしたか、ハンカチは持ったのかを大声で尋ねながら、娘のリュックにお弁当や水筒を詰めていく。リュックを自転車に乗せ娘も乗せてまずは旗当番。無事に息子たちが登校するのを見送って保育園へ直行!いつもより登園を早めにと言われているので遅刻できない。無事に娘を保育園に送り届けて「今朝はスムーズに行ったぞー!」と充実感にひたりながら鼻歌を歌って帰宅。しかーし!玄関を開けて目に入ったのは真ん中の息子が今日使うはずの絵の具セット。
ふと思い出す。旗当番をしている時に何やら息子が私にささやいた。聞こえなかったし気にも留めなかったが、あれは「絵の具セット忘れた」と言ってたのか。取りに帰ろうにも私は旗当番に出ていて家の鍵が閉まっていて諦めたのだろう。
時計を見る。今から小学校に行けばまだ正門は開いてるだろう。行くか、行くしかない。絵の具セットを持ってダッシュで小学校へ。正門はまだ開いていて校長先生が立っている。軽く挨拶を交わして息子のクラスへ。するとたまたま息子が廊下に出ていた。ささっと絵の具セットを渡して任務完了。
はぁー良かった。なんとかなったと帰宅。しかし嫌な予感がした。上の息子の体操服が置いてある。あれ?今日は体育はないのか?冷蔵庫に貼ってある時間割を見る。
ある。
体育はある。
膝から崩れ落ちるとはこういう気持ちか。
もう正門も閉まっている。間に合わない。もう知らん。
私は毎夜「明日の準備を完璧にしろ」と言っている。すると息子たちは「もう完璧!」と言う。あんたらの完璧はこれなのか!?別に忘れ物くらい大したことないと思っていた…。しかし学校「でしか」勉強しないのに、その勉強するための大切な道具を忘れて授業中ぽけーっと過ごしたら、あんたらはどこで勉強するねん!?大切な学習機会を逃すなよ!と最近、息子たち成績表を見て思うのだ。

体操服の忘れ物を見ていつも思い出すことがある。あれは私が中3の時だ。クラスメイトが体操服を忘れたが、お母さんが持ってきてくれることになっていた。休み時間に正門で無事にお母さんから体操服を受け取り、さあ着替えようと体操服の袖に腕と頭を通そうとしたクラスメイトに異変が。「あれ?これ何?着られない」と言うのだ。頭が腕が体操服に通らないのだ。よく見るとお母さんがしつけ糸で袖と首のところを縫っていたのだ!!大爆笑!!お母さん忘れ物に腹を立てて、わざわざ針と糸を出してきて縫ってから学校に持ってきたのだ。私はお母さんがそんなことするんだと驚いた。私のお母さんは絶対に忘れ物なんて届けてくれなかった(というか怖くて頼めなかった。)そのクラスメイトは穏やかでいつもニコニコして安心できる人だったが、独特の面白さがあった。そうか、こういうお母さんに育てられたらこんなに面白い子どもに育つんだなと中3ながら思ったことを今でもよく覚えている。
今度、わたしもしつけ糸で息子たちの体操服の袖口を縫っておこうかな。きっとこのことの面白さを息子たちはわかってくれないだろうなぁ。でもこういう遊び心を持っておきたいもんだ。ガミガミ怒るのではなく、しつけ糸で縫うような面白さを。

つづく





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