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ただの「好き」を起点に自分を取り戻す

自分を好きになれなかったり自信のない人は、誰かの目線をずっと気にしてきた人だと思う。
誰かが喜ぶことをする、誰かに嫌われないためにやらない。
他人の目線に自分の行動を左右されることが「当たり前」だった人は、自分で自分の人生をコントロールしてる感覚がそもそも薄いから、生きづらい。

子供がおもちゃ屋さんで「すてき☆ほしい!」と思う物を自分で決めることすらさせてもらえなかったら(「これがいいよね」を押し付ける親は今でもたまに見かけるけど)確実に自分に自信が持てなくなっていくし、「間違い」を選んでいると暗に言われている気持ちになって、自分を好きになんてなれないよね。
そういう感じだと思う。

そのうちに、自分の「好き」が何かわからなくなっていく。
だって、選んでいいなんて思ってなかったから。
選べずに他人に振り回されてるのが当たり前の人生は、生きやすい?
そんなわけない。楽かもしれないけど、自分を信じていない気持ちとセットだもん。

ということは、「好き」をただ好きだと思えれば、そう思ってOKだってわかれば、自分のこともちょっと好きになれるのかな?と思ってる。

ところが私は、他人の目線を気にして生きてきた割になぜか自分の直感的な「好き」には素直に行動できてしまうタイプだった。
なのに、自己肯定感はなかなかに低い。

なぜか。
「好き」の中に比較や順位付けの要素を私が埋め込んでいたから。

例えば、歌が好きだしアカペラが好き。
でもそこにはいつも比較があった。
合唱はパート内の順位付けでステージでの立ち位置が決まったし、アカペラはランク次第で誰とバンドが組めるかが変わる。
絶対音感がどーの音域がどーの譜読みの速さがどーの見栄えがどーの、比較とマウンティングの世界だ。(と、私が思っているんだと思う)
(もちろん、できる/できないの実力は別の側面でとても大切なのだけどね)

一度だけ「あの場にいた中で、さらちゃんが一番楽しそうに歌ってた」という理由でバンドに誘われたことがある。
当時、「そんなことで誘ってもらえるの!?」という驚きや嬉しさと同時に「私のレベルでいいの?」という思いがあったのも、覚えてる。

これが、理由なき「好き」にも比較を持ち込んでいる証拠だと思う。
本当は私も、「楽しそうだったから一緒にやれると思った」と話す彼の側の人間でいたかった

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歌だけでなく観劇や推し活や読書や、自分の「好き」に軽快に足を突っ込むものの「比較」がセット販売になっていた私が、セットじゃない体感ができたのが、アレクサンダー・テクニークだった。
おかげで以前より少しだけ、自分の「好き」と自分自身を認められるようになってると思う。

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今も、自己受容できました☆なんて口が裂けても言えないけど、アレクサンダー・テクニークが他人目線や他人との比較要素が少なかったおかげで、自分を取り戻したような感じがあるのは確か。

アレクサンダー・テクニークは教師と生徒という関係であっても、生徒側が教師に評価されることがない
同意や問いかけはあるけれど、生徒自身が自分に起きたことを見つめ、受け取ったことをフィードバックする、というのが基本のレッスン形式。
この形式は一般的ではないから、書いたところで分かりづらいと思う。
例えば私が「この歌のこの箇所がうまくいかない(うまくいかせたい)」とレッスンを受けたとして、教師は生徒に必要と思うことや試してみてほしいことの提案をする。
生徒はそれをやってもやらなくても良くて、もしやってみた場合、聞かれるのはこれだ。

「(試してみて)どうでしたか?

今まで私が受けてきた「レッスン」「教育」では、聞いたことのない言葉が返ってくる。

どうでしたか??知らんがな!先生が良かったかダメだったか決めるんでしょ?
という感じなのだけど、いつだってアレクサンダーの先生はにこにこしながら「私が」どう変化を認識し、どんな体験をしたのかを聞いてくる
しかも自己評価は、聞かれてない。
「うまくできませんでした…」と答えても大体スルーされる(苦笑)
ただ聞かれてるのは、新しいことを試したらどんな変化を見つけた?ということ。
歌がうまかったかとかいう評価は知らんけど、響きは変わった?呼吸はどうだった?いつもと何が違った?っていう話をするのが、アレクサンダー・テクニークの「レッスン」。
そして私が気付いた変化を「違う」とか「気づきが甘い」なんて言われたことは、ない。
「そうなんだねー!」が返ってくる率は、とても高い。

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アレクサンダー・テクニークを学ぶ中で、自分を取り戻しつつあると感じられたポイントはここにあると思う。
自分目線の言葉を誰かの前に出して、それが受け止められること。
その積み重ねで、私のことを知っているのは私自身だと思うことができるし、自分の体感を肯定することができる。
それは、自分を自分でコントロールしてる・していいという感覚と「≒」のはずだ。
自分の見つけたこと・感じたことにOKを出すうちに、自分の「好き」にも素直になれる
しかも自分のレッスンの中で見つけたことは、当然だけど他人との比較が存在しない。
だって、私が受けたレッスンだもん。私しか体験してないことだもん。そして私が私の中で見つけた話だもん。
比較がなければ、もっと自分の発見に自信が持てる。

自分の心と体と感覚がマッチしていくと、自分を好きになって、好きな自分だから自分を大切にできる。
他人目線や比較の少ない世界で、これからも私は生きていきたいと、思う。

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