翻訳本の良し悪しは「熱量」。(複数の翻訳本があれば最高)
海外文学を読んでいると、ときおり「?」となることがあります。
意味のはき違いと言うのでしょうか。
ストーリーの途中「このセリフって誰がいってたんだっけ」みたいになり
元にもどって読み返すことがあるわけです。
「自分が若かったから、意味がわからなかったのだ」などと当時は思いましたが。そうじゃなくて、翻訳の質だったのですよね。
戦後はたくさんの外国文学が一気に日本に流れこみ、日本国民は老いも若きも貪るように翻訳本を読んだそうです。なので需要に追いついていけず、翻訳もおそろかになったのかも? と、勝手によくない推測をたててしまいました。
もう少しいい訳をすると、昭和初期の言葉づかいも多少読みにくさにつながっているかと思います💦
上記をふまえ最近になって思うのが、翻訳と言うのは「訳者の熱量」にも左右されることが多々ありそうっていう。
つまり、読んでいて楽しい海外文学は翻訳者自体が作家であり
翻訳したい本の影響を少なからず受けている、といった本だったのです。
つまり「依頼されて訳しているんじゃなくて
訳したいから翻訳したんだ」ってことですね。
有名なのは村岡花子氏。
彼女のおかげで「赤毛のアン」は早々に読まれることになりました。
近年は村上春樹氏が好きな作家を翻訳されていますが、レイモンド・カーヴァー氏は、ひょっとしたら村上春樹氏が翻訳しないとあまり知られていなかったかもしれません。(私だけに関していえば、他の訳者では読まなかったと思います)
これは映画にも通じる事かもしれませんが、とくに文学に関しては、翻訳者の熱意がとても伝わってくる気がしてます。
あとは「何人、その海外文学を翻訳したか」というのもありますね。
ファンがたくさんいれば「翻訳したい人」っていうのも勝手に増えるでしょうし。なので、翻訳の読み比べというのも楽しめます。
やはり、翻訳者がその小説をどれだけ好きかそれだけで、読もうという熱意もかわってくるんですよねぇ。
原文が読めればそれに勝るものはありませんが、まだ読解力が少ないので
やはり翻訳者の質は、とても大切なカテゴリーだと思います。
これから先はチャットGTPなども多用されてAIによる翻訳も増えてくるかとは思います。
ですが、翻訳者の熱意度を測って本を選んでみるというのもポイントを絞ってみると面白いかなと思い、つらつらと書いてみました。
\訳者の熱意があるよ! と思う海外ベストセラー(注意!好みによる)/