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全部に入る









全部に入ると
なんにもなくなったので
私もなんでもなくなった。

全部に入るつもりはなかったけど
全部しか残ってなかったから
ああ面倒くさいなぁとグチりながら、
がっぷり呑まれた。


全部は私の首が好きだった。
私の首に、全部が集中したので
私の首はキツくて息が薄くなる。

こっちが入ったのに
あっちが集まってくるとは
なんて道理というものは、
ICカードみたいに信念がない。

なんにもいない全部のなかで、
私はピーナッツバターだった頃を思い出す。
パンさえ居てくれればそれでいいと
心底思っていた時期を
薄い息の中思い出し、
なにかであるという事は
なにかではいられない事なんだなと、
ピーナッツバター頑張ってやってた頃の自分を
薄くなる息の中、
ねぎらう。


全部は私の首が
そんなに好きなのか。
全部に入るということは
なんにもいなくなる中で
回転されるまま回転するだけ。
回転しながら
ほどける神経。
しばられる息。



これは撤収ではない
でもリベンジでもない。
ふとしたところが常に行き渡っているだけ。
この、薄いこれも。



キリンとして多摩動物園で生きることは、
案外楽しかった。
背の高い木が沢山あり、土も足に優しかった。
それでも
時々自分の首を、
持て余すことがあった。

頑丈な柵を見下ろしていると
時々自分の首が
自分の長すぎる首だけが
この柵の中で唯一、
そぐわないものに思えた。

この首だけこの動物園の中で、
せっぱつまっている。
そんな思いがうずき、
多摩動物園の敷地内だけでは
まかなえない夜があった。


そんな時、
全部を見つけた。







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