最期が私でよかったのだろうか
お盆が終わった。
叔父が亡くなって一年以上。
来年はもう3回忌らしい。
月日が経つのは恐ろしいほど早い。
それでもまだ時々ぽろぽろと涙が出てくるのは、
まだ叔父の死を消化しきれていないからなのだろうか。
あの最期の日の夜。
おやすみ。
と何気なく階段を一緒にのぼって廊下でわかれた時にした挨拶が、叔父が他人と交わした最期の言葉だ。
それが私でよかったのだろうかと、今でもずっと考えている。
何気ない、また明日の朝ね。なんていう軽い気持ちでお互い挨拶したのだと思う。
でも実際、叔父は本当に眠ってしまった。
警察の人が最期に会った人は誰ですか?と事件性がないことを調べるために形式上聞く質問があった。
その時、私です。と答えたけれど、今思い出せばとても答えるのが怖かった気がする。
あの声を、仕草を最期に見たのが私なのだと。
特段ものすごい勇姿を見たわけじゃなく、本当に些細な一場面だけれど、その人の最期の姿にかわりはない。
私はその最期を受け取るに値する人間だったのだろうか。
それをずっと考えている。
今叔父の部屋は遺品整理も済ませて床から天井、壁紙まで全てを一新して私の作業部屋として使っている。
それでも叔父が使っていたオーディオ機器や、テレビラックとかは受け継いで使っていたりするから、叔父の気配は消えていない。
だからこそ、私はこの場所を制作の作業部屋として使わせてもらえることになった時に焦っていた。
この大切な部屋で、何を生み出すことができるのだろうかと。
一つでも多く、一つでも多く、綺麗なものを。
素敵なものを、と。
この部屋にいるかぎり、きっとあの日の夜の会話は私の中で自問自答として永遠に残り続けるのだと思う。
そしてその最期の言葉を受け取るに値する人間であろうとし続けるのだと思う。
おやすみ。
という何気なくて、とても日常のやりとり。
その言葉を最期に聞く人間が私でよかったのだろうかと、今でもずっと考え続けている。
だからこそ代わりに、私は美しいものを作り続けようと、売れようと必死になっているのかもしれない。