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3袋のえだ豆と私。

えだ豆を剥く腕がつった。
大量にえだ豆を買ったのだ。
理由はえだ豆のペーストを作ってパスタソースにしようと思ったから。
コンビニで売っていた冷製えだ豆パスタを妹が食べたことがはじまりだった。
「ねぇねぇ、これ作って」
「無理でしょ!」
「できる」
「まじか」
なんて根拠のない「できる」に私は乗っかることにした。
とりあえずえだ豆買ってきてコンソメと牛乳とむにゃむにゃを混ぜればなんとなくできるか。そんな風に考えていた。(ちなみにむにゃむにゃの部分は真面目に考えていない。キッチンに立って、味見をしながら何かをむにゃむにゃっと放り込むのだ。)
私の料理はむにゃむにゃが多い。
むにゃむにゃが多くてもなんとかなるからだ。
まぁとにかくそんなこんなでえだ豆パスタを作る予定だった。
しかしそこで私は重大なミスに気が付いた。
ジューサーがないことに。
はっ!としてやばいなーと思った。
どうしよどうしよ。
キッチンを右往左往して、3袋も買ったえだ豆を前に唸った。
唸って、冷蔵庫を無駄に開け閉めした時に閃いた。
キーマカレーに入れちゃえばいいのでは?
後日作ろうと思っていたキーマカレーの材料を前にガッツポーズ。というか面倒だったので放り込んでしまえ作戦にでることにした。
ここで妹には心の中でごめんと手を合わせておく。
3袋のえだ豆を茹でる。
そして茹でたえだ豆をむきむきぷちぷちする。
最初はちょっと良い感じに優雅にむきむきぷちぷちしよっかな、と鼻歌交じりにはじめた。
しかしこれが悲劇のはじまりだった。
なんとなく剥きはじめて1袋剥き終わるかなー辺りで腕が変な感じになったのだ。
正確には手首が。
皮が……か、かたい!!!
そう思った瞬間に手首から腕がつった。
面白いぐらいに。
いたい、いたい。
声に出す前に笑えてきてしまうぐらいに。
そこで私は考えた。どうしたらえだ豆を上手く楽に剥けるのか。
3袋もあると研究材料には事欠かない。
思う存分えだ豆をむきむきぷちぷちすることができる。
とりあえず利き手じゃない方の左手でむきむきぷちぷちしてみる。
あまり変わらない。でも右手とは違う感覚のせいか、右手の時にだいぶ無駄な力が入っていたことに気付く。特に指先。
皮を破るために指先にこれでもかと力が入っていた。
よしよし。研究は順調である。
ならばと、今度はその無駄な力の原因である皮の裂目をそもそも両手で割ってはどうかと思った。
裂目に両手の指先を割り入れるようにしてパカっと開く。
うん。確かにこれは一個ずつむきむきぷちぷちするよりも効率が良いかもしれない。
ただなんかゴミが増えたように感じるし、そもそも指先の改善にはならなかった。
何かが惜しい。
それならと考案したのが、むきむきぷちぷちする角度の調節である。
最初は一般的な裂目の外に向かって力を入れていた。それを豆同士が向き合う……と言えばいいのだろうか。豆同士をぶつけるように中央に向かって力を入れるやり方だ。
これがなんとなく意外や意外で、一般的なやり方よりも楽な気がした。
とここまできて正直研究材料のえだ豆が残り数えるほどになってしまった。
腕の痛みに耐えながらなかなかの研究結果だと思っていたが、心のどこかではあと一歩何か別のやり方がありそうなものだと、今度は好奇心が最後になってむくむくしてきた。
そして最後のいくつかをひとつひとつやり方を変えてみたりした。
今考えれば何やってんだかと笑い話だけれど、その時の私は真剣だった。
真剣にえだ豆と向き合っていたのだ。
今までこんなにもえだ豆と向き合ったことがないせいか、新しい発見でいっぱいだった。
そして結論。
私的一番楽なえだ豆の剥き方は、
裂目を指の腹で押し潰すこと。
これが一番楽だと、残りのえだ豆3つで気付いた。
えだ豆3袋も使って遅すぎる気付きだったけれど、結果気付くことができた。
これは私的に、だから世の中的にどうなのかは分からない。でも私的最適解が分かって、とても満足している。
何より、こうやって時間をかけることで気付けることがあるのだと改めて知ることができた。
えだ豆3袋は確かにただのえだ豆3袋だけれど、私にはそれ以上の意味を持っていた気がする。
時間をかけないと見つからないものもある。
時間をかけてこそ見つかるものもある。
それに気付けたことは、私にとってとても価値があることだ。
こうやって日常の中に私たちが気付けること、気付いていないことがまだまだたくさんあるのだと思うと、一つのことに少しばかり時間をかけて向き合ってみるというのも大切なことなのかもしれない。
とりあえず、えだ豆は3袋をむきむきぷちぷちすると大きな発見がありました。





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