はじめてのnote:新年に「やるぞっ!」と決めたことをやりきれないあなた、というかわたしへ【さらば、noteを書く理由(1)】
年始に思い立ちました。
「そうだ、noteやろう」
というわけではじめまして、さらばです。
新しい年はなにかをはじめるのにぴったり! という風潮もありますが
新しいことを始めるときには、結構なエネルギーが要りますよね。
だから「やるぞっ!」という意気込みがないと始めにくかったりします。
しかし世の中には三日坊主という言葉がありまして。
「やるぞっ!」と意気込んで始めたことが、七日経つころには
「あー、ちょっと最近サボり気味だなあ」
となり、ひと月経つころには
「今回こそやり続ける……そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」
なんてこともざらですよわたしは。
でもこれって、どうしてなんでしょうね?
理由なんて、ケースバイケースだよ
と言われたら「そっすね」で話が終わっちゃうので少し考えると。
たぶん、ひとつには「やるぞっ!」力を燃料にすると続かないんです。
なんじゃそら? だと思うので例を出します。
前提条件
年始、noteを始めようと意気込んだわたしの「やるぞっ!」力を100とします。
"noteを始めるために必要な「やるぞっ!」力"を80とします。
"noteを更新するために必要な「やるぞっ!」力"を60とします。
増減の基本条件
「やるぞっ!」力は、とりあえず始めると満足して30減ります。
「やるぞっ!」力は、noteを更新してなんらかの欲が満たされると5増えます。
「やるぞっ!」力は、眠ると5増えます。
「やるぞっ!」力は、仕事をすると一日あたり10減ります。
「やるぞっ!」力は、ストレスを感じると度合いによって1~100減ります。
この条件だと、わたしの「やるぞっ!」力は例えばこんなふうに推移します。
あとはもう、精神を削って根性で更新し続けるか、いつの間にかしなくなるかです。
仕事をしても消耗しない方や、日々ストレスを一切感じない方を除けば、大抵の方は早かれ遅かれこんな風に必要条件を満たせなくなるんじゃないでしょうか?
逆に言うと、年末年始などの長期休暇は仕事がなく、ストレス要因も少ないからこそ、「やるぞっ!」力が回復して、なにか新しいことを始める気持ちになりやすいんでしょう。
要するに、「やるぞっ!」力を継続の前提条件にすると続きません。
じゃあ、どうすればいいでしょうか?
やろうとせずにやる
わたしの答えは、
「やるんじゃない。やらないんだよ。
やらないんだけど、やるんだよ」
です。
いやもうなんの話だ? と自分で突っ込みたくもなるのですが。
大学のときの先生によく言われました。
「(文章表現を)気取るな」
そして最近も師と仰ぐひとに言われました。
「おまえはすぐかっこつけるからなあ」
複数の証言から、どうやら気取って、かっこつけて、意気込んで肩の力が入ってしまうのはわたしの悪癖です。
これがわたしにとって、「やるぞっ!」で始めたことが続かない最たる理由だと思ってます。
あれですよ。
崖から飛び下りるとき、"強ばって全身の筋肉が硬直してる状態”のほうが"脱力状態"よりはるかに危険だ、みたいなやつです。
あれ? ちょっと違う?
ともあれわたしが目指すのは「気合いを入れなくてもやる」状態です。
淡々と、やるのが当たり前で、なんならやってることに気付かないくらいが素晴らしい。
呼吸をするように、食事をするように、親しいひとへ愛情を向けるように。意識の外に出しながら決して生活の外には出さない。
"習慣化"というと味気ないですが、そういうふうに、わたしはやりたいと思ったことを当たり前にしていきたいです。
だから今回がnote初投稿ですが、自己紹介や所信表明は一旦横に置きました。
年始に「noteやろう」と思ったくせに、正月休みも過ぎたこの中途半端な日付にスタートするのも、まあそういう意図がある……ということにしといてください。
なにかを継続するには、がんばらずにがんばることが一番大事だと考えています。
というわけで。
「やるぞっ!」と気合いを発することもなく、
歩いてたらいつの間にか地面がなくて"結果的に崖から飛び下りることになっちゃった"みたいに踏み出すことを志向しつつ、
長く長く続けていこうと思います!
……あれ、これって所信表明?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?