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【試訳】アイルランドの「猫の王」物語群

アイルランド各地に散見される、喋る猫の話。
イギリスの民俗学者ジョセフ・ジェイコブスが19世紀末から20世紀初頭にかけて収集した民話集に含まれる「猫の王」が有名で、石井桃子編訳『イギリスとアイルランドの昔話』(福音館書店, 1981)などに収録されている。

「猫の王」は次のような物語である。
ある男が夜道で猫に会い、人語で「ティム・トルドラムが死んだとトム・ティルドラムに伝えてくれ」と頼まれる。家に帰って妻に話すと、聞いていた飼猫が「ティム・トルドラムが死んだと! それでは俺が次の猫の王だ」と叫んで去り、二度と戻らない。

ユニバーシティ・コレッジ・ダブリンが収蔵する1930年代の小学生による民話の聞き取りノートに類似の話が複数含まれており、その中から英語で書かれたもの9話を訳した。政府のナショナリズム的な教育方針で、各地に伝承される民話を聞き取るという課題が課せられたと考えられる。アイルランド語で書かれたものは訳せなかった。

原文で特にタイトルがないものは各話で弔われている猫の名をつけた。弔われる猫とそれを知る家猫の関係は、「王」など猫社会の役職の引き継ぎをめぐるものではなく、親族であったり、不明である場合も多いが、ジェイコブスの収録した話が有名であること・収蔵元で「猫の王の死」なるタイトルの類型に分類されていることから「猫の王」物語群とした。現在日本各地に存在するといわれるNNN(ねこねこネットワーク)に通じるものがある。

なお、猫の名にポールとケイトが比較的多い理由が浅学にして自分には不明。ポールにはラテン語で「小さい」の意味があるらしく猫っぽいこと、ケイトの原型キャサリンは(CとKの二通りのイニシャルを持つがCで始めた場合は)綴りにcat(猫はアイルランド語でもcat)が含まれるためか?と訝っている。

ビディ・ガスコイン

コノート地方ゴールウェイ県(アイルランド島西部)の小学生による。
但書に「エアーコート生まれのジョー・ケリーから聞きました。ケリーは彼の死んだ母からこの話を聞きました。ファヒーの沼地はエアーコートからポータムナへ向かう道の途中に、エアーコートから約3マイルの距離にあります。」と書かれていた。
ジェイコブスの「猫の王」は二匹の雄猫の話だが、これは二匹の雌猫の話。

ある晩遅く、ファヒーの沼地に住むトム・マッガンという男が、エアーコートから家に帰る道で黒猫に呼び止められました。猫はいいました、「トム、今夜家に帰ったらナンシー・ヘーゼルに伝えてください。ビディ・ガスコインが死にました」。男はそれが猫の名前だとわかりませんでした。家に帰ってしばらくして、男はこの奇妙な出来事を妻に話し始めました。話が終わるや、火の側に座っていた猫が立ち上がり「ああ間に合わない、彼女は死んだ」といいました。この言葉を残して猫は戸口へ突進し、二度と姿を見ませんでした。

ホッパー

コノート地方ロスコモン県(アイルランド島中央部)の小学生による、79歳の祖母から聞いた話。
原語で“lone bush”と呼ばれる開けた場所にぽつんと残されている茂みは妖精などの人外と出会う場所と言い伝えられ、よく民話に登場する。

僕の祖母がそのまた祖母から聞いた、ある男が夜遅くぶらぶら帰る途中の話。
とある茂みの側を通ったとき、彼は猫の葬列に出会い、そのうちの一匹が「キトーに伝えてくれ、ホッパーが死んだ」といい、彼は家に帰って妻にこの奇妙な出来事を話し、猫が何と言ったかを話したとき、火の側で静かにまばたきしていた彼の猫が飛び上がって「おお、私の一人息子が」と叫び、戸口に走り寄り、飛び出して二度とそれから姿を見ませんでした。

ポール・トゥアン

マンスター地方コーク県(アイルランド島南東部)の小学生による。
妻との会話を家猫が盗み聞く、という設定が多いなか、この話の主人公は独身と思われ、帰宅直後の真っ暗な部屋で独り言を猫に聞かれるという、猫飼いなら身に覚えがありそうな状況。

ある夕べ、一人の男がドネラヴィルの村から帰る途中、ブロウとニュータウンの間で三匹の猫に会い、森の道でも一群の猫に会いました。森の入口で五匹の猫に会い、彼は怖くなりましたが猫たちは彼にちっとも怖がることはないといい、これから通夜に行くところだといい、家に帰ったらポール・トゥグにポール・トゥアンが死んだと伝えてくれといいました。五匹の猫は、もし彼が伝えなければとても悪いことが彼に起こるといいました。男は帰り道ずっと自分に向かって猫の言葉を繰り返し、台所に入った時もまだ繰り返し、そのとき台所は真っ暗で何も見えなかったのですが、ポール・トゥグに伝えなければ云々といっていました。彼はかまどの方で物音をきき、おもむろに見たのは彼の猫が扉についた窓に乗っているところで、猫は彼を見てそれは自分の曾祖母だといい、出てゆき、男はその猫を一週間というもの見ませんでした。

ケイト・ホーガン

マンスター地方ケリー県(アイルランド島南西部)の小学生による。
飼猫のセリフはアイルランド語で、直訳すると「お前の魂は悪魔がお前にくれたものだ。その魂は俺のすべての死んだ子供の母親だ」の意味。悪い知らせをもたらした人間への罵り言葉か。

ある晩遅く出かけた男がいた。道を歩いていると彼は奇妙な大きな音を聞きいた。彼はあたりを見回し、とても怖くなった。次の瞬間その音が彼を追い越し、連れていた犬はその場を動かなくなった。彼はその音の正体を見ようとし、それが一群の猫だと知った。一匹の猫が言った、「人間、人間、帰ったらトム・ガマローに伝えてくれ、ケイト・ホーガンが死んだ」。家に帰り、妻にこの話をしたところ、飼っている黒猫が椅子の下から飛び出して、「タナム・ウン・ダウブ・アン・エ・マーハ・モ・ラノフィ・ゴー・レイル・ター・マール」と叫び、喚きながら戸口から走り出て、二度と戻らなかった。

ポル・ローヴァー

マンスター地方リムリック県(アイルランド島中西部)の小学生による。
つがいであっても別々に暮らす猫の男女関係をよく表した一話だと思う。猫の群れが姿を見せず、声だけに猫らしさが表れているのが特徴だろうか。猫の鳴き声を“Man-O"と聞きなしている。人間に呼びかけるときに猫はたしかにこのように鳴く(ような気がする)。

昔、若い男が妻と暮らしていました。彼は毎晩、仕事の帰りに古い砦の側を通らねばなりませんでした。ある霧の晩、大きな猫が砦から彼の後をついてきました。一ヶ月ほど経った晩、砦の側を通ったとき、彼はたくさんの男の話す声を聞き、耳をかたむけてみると、聞こえてきたのは、「人間、おお人間[マン・オー、マン・オー]、さすらいのビル・ローヴァーに伝えたし、さすらいのポル・ローヴァーは死せり」。彼は怖くなり走って帰りました。家に着いて、これまでで一番奇妙な話を聞いたと妻に言いました。彼はあったことを妻に話し、大きな猫がそれを聞いていました。話し終わると、猫は「ミャウオー、ミャウオー、我が子らの母親よ」と言いながら戸口に向かい、二度と姿を見ませんでした。

男と黒猫

マンスター地方クレア県(アイルランド島中西部)の小学生による聞き書きで、残されたメモから語り手は子供の母親か祖母だと思われる。他の「猫の王」物語の類型と異なり、猫が知らせるのは人間の死である。
原文では、沼地で働いていた男と通夜にきた客の男が同一人物かどうか判別し難いが、ここでは別人と解釈した。また、「友達」は沼地の男と住んでおり沼地の男が通夜を出したのか、「友達」は別の家に住んでおり友達の家で通夜を出したのか不明である。猫が「家に伝えろ」と言う際の「家」は、沼地の男の家ならば「家に帰れ」と言うはずだから、沼地の男の家ではなく「友達」が住んでいた通夜の家であると考える方が自然だろう。
また、外に出してくれと頼んだのは猫か客の男か判別し難い。ここでは客の男であると解釈した。沼地にきた猫と通夜の猫は同じ子猫であり、客の男が子猫を逃したもので、客の男は猫の王かなにかだと考えることもできる。
それにしても不自然な語り口の話だと思う。叙述ミステリ的な読み方をするならば、男が沼地で働いている間に友人が妻と姦通でもしているか物品を漁っているのを子猫が知らせにきて、男は急いで帰り友人を殺した、という解釈も可能だろうか。

ある日、一人の男が沼地で泥炭を切り出していたところ、小さな黒い猫が近づいてくるのを見て、その猫は彼の友達が死んだことを家に伝えるようにといいました。男ができるだけ早く走って家に帰ると、友達は死んでいました。
その夜、一人の男が通夜にきて、猫と遊び、猫は助けられ、その男は家の男に猫を外に出すようにいい、二度と姿を見せませんでした。

ポール・ヘーゼル

マンスター地方クレア県(アイルランド島中西部)の小学生による。
この子のノートの他の部分には脚注を入れた箇所があることや、全体的に話し言葉というよりは要約して整理された言葉であるような印象を受けたことから、聞いた話をそのまま書いたものというより、この子が再構成したものなのではないかと思う。

バンラッティ近くのファーガスの漁師は奇妙な見た目の猫が一匹、壁から自分をうかがっているのに気づき、「マナオウ、マナオウ」とその猫はいった。「帰ったらギジー・ガゼルに伝えておくれ、ポール・ヘーゼルが死んだとな」。
その晩、漁師は暖炉の側に座って、妻に話した。家の雌猫が暖炉の上に座り、うとうとしていた。「ポール・ヘーゼルが死んだ」という言葉を聞くや、猫は鋭い叫び声を発し、夜の中に消えていった。彼女は二度と姿を見せなかった。

ケイト・ストラングルス

レンスター地方ラオース県(アイルランド島東部)の小学生による。
この話では、猫社会で呼ばれている名と飼主に呼ばれている名は同じ名であることから、言伝を頼まれた人間は誰に伝えればいいかを理解しつつ、飼猫が人語を解することを半ば信じて直接話しかける。類似する他の話と異なり、静かに話しかけるシーンが印象的。

遠い昔、この老夫婦は田舎の小さな家に暮らしていました。彼らが持っているものはといえば、モル・ローという名の一匹の猫だけでした。
ある晩、夫が家に帰る途中、手足の先に鋭い爪を持つ猫の大群を見ました。先頭の猫が立ち止まって口を開きました。「モル・ローにケイト・ストラングルスが死んだと伝えてくれ」と彼は言ったのです。不思議に思いつつも老人は帰路を急ぐのですが、家の入口で自分の猫が火の前に座っているのを見たのです。彼は猫に近づきました。「ケイト・ストラングルスが死んだよ」彼は言いました。この、静かに語られた言葉の効き目が見え始めました。モル・ローは煙突を昇って消え、二度と姿を現すことはありませんでした。

ポール・ウィギンズ

アルスター地方モナハン県(アイルランド島中東部、北アイルランドとの境)の小学生による。
「出かけた先」はアイルランド語でcélidheと表記されており、「目的地」の意味だが、時間的に居酒屋だろうと思われる。猫も飼主もユーモラスな印象が強めの一話。この猫は葬式が済めば何食わぬ顔で戻ってきて人語を解さないふりを続け、飼主も昨夜の出来事はアルコールのせいだったと思うことになるのではないだろうか。

昔むかし、出かけた先でいつも夜遅くまでねばっている男がいたんだと。ある晩、彼が家路をたどっていたおおよそ11時くらいのこと。道を歩いていると、原っぱが猫でいっぱいなのを見たんだと。でかい灰色の猫が道に出てきていうことには、「帰ったらポール・ルアドにいってくれ、ポール・ウィギンズが死んだって」。男は家に帰り、見たこと聞いたことを話したと。猫が火の側に寝そべっていたんだと。男の話を聞くと猫は跳ね起き、「葬式に行ってこなきゃ」といいながら飛び出していったんだとさ。

各話のおおよその収集地。作成:山本


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