板状かりんとう「銭函金助」。北海道最古のかりんとうの技が生み出す艶やかさと薄さ約0.8ミリへの挑戦
北海道最古のかりんとう「中野のかりんとう」を製造する北の食品株式会社と、創業103年目を迎えた札幌千秋庵。ともに北海道コンフェクトグループの一員である2社の技術と伝統から生まれた新商品が「銭函金助(ぜにばこきんすけ)」です。(2023年6月29日発売)
蜜がけした薄い形状はまるで黄金色のお札のよう。パリッとした食感と、香ばしい香り、そして黒胡麻の風味が後を引く味わいです。
今回はかりんとうを手掛けて17年目の高井さんと、異業種から転職しコラボの架け橋となった関谷さんのお二人に商品開発のお話をうかがいました。
北海道最古のかりんとうを生み出した中野製菓の歴史
ー 中野製菓の歴史をおうかがいします。
関谷:中野製菓は創業者である中野竹三郎が、1923年(大正12年)に中野商店(小樽市野深町)として創業しました。その後、二代目の中野正市が1948年(昭和23年)に法人化し中野製菓株式会社(小樽市真栄町)となりました。現在工場を構えている小樽市銭函に拠点を移したのは1988年(昭和63年)で、以後30年以上、主力商品のかりんとうをはじめ、たくさんの商品を銭函の工場で製造しています。
その後は2008年(平成20年)に経営権を株式会社木野商事へ譲渡し、2023年6月に北海道コンフェクトグループに加入し、社名を「北の食品株式会社」に変更し現在に至ります。
高井:創業当時は、創業者・中野竹三郎が自宅で作ったかりんとうを一斗缶に詰めて、「中野のかりんとう」と書いた“のぼり”を掲げ、リアカー1台で売り歩いたと聞いています。
当時の小樽は鰊(にしん)漁が盛んな漁師町で、「腹持ちがするもの」、「日持ちがするもの」、「持ち運びがしやすいもの」を好む漁師たちにとって「かりんとう」はとても重宝されたようです。
ー お2人の「中野のかりんとう」との出会いは?
高井:私は当時、工場長を務めていた村井さんという方からお声がけいただき、中野製菓に入社したことが「中野のかりんとう」との出会いでした。
入社後は村井さんから「中野のかりんとう」の製造技術を徹底的に伝授していただきましたね。
実は現在、北の食品株式会社に在籍している職人のうち、村井さんから直接製造技術の指導を受けた経験があるのは私ひとりです。村井さんから伝授いただいた製造技術をしっかりと受け継いでいくことが私の重要な役目のひとつでもあります。
関谷:私は地元が小樽ですので、昔から母親と一緒に「中野のかりんとう」を食べていたというのが出会いです。
実は私が入社した時、「中野のかりんとうを製造している会社」だということには気づいていませんでした・・・(笑)入社後、工場でかりんとうを試食してはじめて、「あ!このかりんとう知ってる!」と気づきました。なんだか懐かしく、嬉しい発見でしたね。
札幌千秋庵とコラボ商品を開発した経緯
関谷: はじめに札幌千秋庵の中で「過去の商品を活かした商品開発をしたい」というお話があり、最終的にたどり着いたのが「黒助(くろすけ)」という黒糖を使ったかりんとう風クッキーだったようです。このレシピを参考に「新しいかりんとう」の開発がスタートしたと聞いています。
その後、プロジェクトチームで何度か試作を重ねましたがなかなか思うように進まず悩んでいたところに、北海道コンフェクトグループの1社である「Kコンフェクト」の商品開発チームから「薄い板状のかりんとう」のアイデアをいただき、このアイデアを基に最終的な開発の方向性が決定したと聞いています。
ここから工場での製造に落とし込んでいく段階で、かりんとうの製造技術がある北の食品がバトンを受け取りました。
まさに札幌千秋庵の「歴史と伝統」、Kコンフェクトの「開発力」、北の食品の「技術力」が結集し、北海道コンフェクトグループのシナジー効果を発揮した瞬間だったと感じています。
ー「銭函金助」という名前の由来は?
高井: 小樽は鰊(にしん)漁で栄えた歴史があります。「銭函」という地名の由来も、当時の漁家に「銭箱」が積まれていた風景が由来になっています。
関谷:北の食品の工場がある「銭函」で製造されていること、札幌千秋庵がかつて販売していた「黒助」という商品のレシピから派生していること、そして黄金色の見た目を銭(紙幣)に見立てて、かつて小樽が鰊(にしん)漁で栄えていた時代への郷愁を感じさせること。これらを合わせて「銭函金助」という商品名になりました。
「銭函金助」製造のポイント
― 実際に工場で製造する際のポイントはどこですか?
高井:銭函金助を製造するにあたっては、「薄い形状であること」と「金色の蜜をまとっていること」の2つを同時に実現し、なおかつ「パリパリ食感であること」がポイントでした。
関谷:製造の手順としては大まかに言うと①生地づくり、②揚げ、③蜜がけといった工程がありますが、それぞれに苦労がありました。
「薄さ0.8ミリ」を実現するための生地づくり
高井:実は「銭函金助」は生地の配合そのものが一般的なかりんとうとは異なります。
関谷:一般的なかりんとうは中力粉を中心に作りますが、銭函金助はスポンジケーキ用として使われる薄力粉を多く配合しています。これはKコンフェクトの開発チームから頂いた提案でした。この発想はケーキづくりのノウハウがあるKコンフェクトならではのもので、当社だけでは生まれなかったと感じています。この配合を基に「板状のかりんとうをどうやってつくるか」を実際の製造現場に落とし込んでいくのが私たちの役目でした。
高井:当初は薄さ1~2ミリを基準に開発をはじめました。何度も何度もテストを繰り返しましたが、なかなか理想の「パリパリ感」にはたどりつけませんでした。もっと薄く…と試行錯誤を重ねた結果、「0.8ミリ」という薄さに挑戦することになりました。
高井:実は「0.8ミリ」なんて薄さはどこのかりんとう屋さんでもやっていない未知なる領域なんです。ここまで薄くなると製造過程で「割れ」が多くなり、製造ロスがたくさん発生してしまうリスクがあります。なので、通常はここまで薄くはしないんです。
あまりの薄さに、生地を伸ばす機械の設定がうまくいかず、理想の薄さにまで「生地を伸ばすこと」にかなり苦労しました。やっと理想の薄さに伸ばすことができたと思ったら、今度は少し触っただけで破けてしまったり…本当に苦労しました…。
パリパリ食感を生む「薄さ」と「揚げ」の絶妙なバランス
高井:「揚げ」の工程では「生地の気泡」と「三度揚げ」がポイントです。
―「生地の気泡」とは?
高井:生地を薄く伸ばしてから揚げることで、生地にうっすらと気泡の凹凸ができます。一方で生地に厚みがあると全体が膨らみすぎて理想の薄さになりません。ここには絶妙なバランスが必要で、薄すぎても厚すぎてもダメなんです。
関谷:程よい気泡を入れるために生地に穴を開けて試したこともありましたが、表面に点々模様がついてしまって見た目が美しくなく…。「生地を伸ばす」工程と同様に何度も何度も試行錯誤を重ね、ようやく自然な気泡が入るようになり、理想の食感にたどり着きました。
高井:「絶妙な薄さで揚げて絶妙な気泡を入れる」ことが、理想のパリパリ食感を生むんです。
― なるほど… では「三度揚げ」とは?
関谷:簡単に言うと「天ぷら」と同じようなイメージです。
高井:「一度目の揚げ」は、先ほどの「気泡」を入れながら形状を安定させる意味合いがあります。「二度目の揚げ」は比較的低い温度の油に生地を入れて、中までしっかり熱を通します。「三度目の揚げ」は高温の油に生地をくぐらせて、カラっと仕上げます。
関谷:一度揚げた天ぷらを再度高温の油に10秒程度くぐらせるとカラッとした仕上がりになりますよね?あの原理と同じです。手間はかかりますが、この「三度揚げ」の工程をしっかり行うことで、よりパリっと香ばしく仕上がります。
高井:これらの工程を経たうえでの「上手な油の吸わせ加減」が旨味に大きく影響します。油を吸わせすぎると油臭くなり、反対に油の吸わせ方が足りないと旨味がでません。この絶妙な匙加減が大切なんです。
金色に輝く、艶やかな「蜜」
ー 仕上げにかける「蜜」にはどんなこだわりがありますか?
高井:蜜は北海道産の「ビート糖(てん菜由来)」をふんだんに使っています。
関谷:本州では一般的にはサトウキビを原料にして砂糖を作っていますが、北海道に拠点を構える私たちだからこそ北海道産の原料を使うことにこだわりました。いくつか試作を行った中で、北海道産のビート糖(てん菜由来)が旨味をダイレクトに感じる仕上がりにできたことも決め手でした。
ー 「蜜かけ」で苦労されたことは?
高井:私の師匠である村井 元工場長から「かりんとうの蜜は、ビロードのようにツヤツヤに仕上げなさい」と指導を頂いた経験があり、その教えを再現しようと考えていました。通常のかりんとうはゴロンと厚みのある形状をしているので、たっぷりと蜜を絡ませることができます。しかし、「板状」で「薄さ」を重視する銭函金助は均一に蜜を絡ませることができず、「蜜をどうやって絡ませるか」が大きな課題でした。
まんべんなく蜜を絡ませるためには蜜の濃度を濃くする必要があります。しかし、濃度が濃すぎるとベタついて分厚くなりパリっとした食感が出ず、反対に濃度が薄いと味も薄くなります。「理想的な蜜の濃さ」を実現するために、水の量や原料の配合を調整しましたが、その加減がなかなか決まらず苦労しました…。
関谷:実は「銭函金助」を製造するにあたり、「中野のかりんとう」の伝統的な特長を最も活かすことができたのが「蜜がけ」の部分なんです。先ほど高井さんからお話があった「蜜はビロードのようにツヤツヤに」の言葉に、「中野のかりんとう」が積み重ねてきた長年の経験と技術が込められていると私は思っています。
これからの挑戦
― これから挑戦していきたいことをうかがえますか?
関谷: 最近は海外のお客様からも「日本のかりんとうが食べたい」というリクエストをいただきます。私たちが得意とする「かりんとう」をはじめ、バリエーション豊富な日本のお菓子は、海外のお客様からのニーズが非常に高いと感じています。現在はこの市場に参入することを目指し、様々な条件をクリアするために試行錯誤を重ねている段階です。
また当社には、かりんとう以外にも、「漁師のふりかけ」や「水産加工品(昆布・ハム)」などの取り扱いもあり、催事関係や道の駅などの販路を持っています。そういった特長を活かして、北海道コンフェクトグループの一員として、今までグループにはなかった新しい販路が開拓できるのではないかとも考えています。
高井:二代目・中野正市がよく「かりんとうは生き物」と表現していたように、かりんとうは気温や湿度で状態が変わりやすいお菓子です。原材料、製法ともシンプルなだけに技術が表れやすい、とても奥深いものなんです。私個人としては長年の経験と技術を活かして「銭函金助」の新しい味の開発にチャレンジしてみたいと思っています。
ーありがとうございます。最後にひとこといただけますか?
関谷:札幌千秋庵の看板商品のひとつを作る機会をいただいて嬉しかったというのが本音です。販売に至るまで苦労もたくさんありましたが、「銭函金助」をたくさんのお客様に召し上がっていただきたいですね!
高井: 札幌千秋庵の店に「銭函金助」が並んでいるのを見た時は本当に感無量でしたね。開発に苦心したこともあって、報われた気持ちになりました。
当社の従業員から聞いたお話なのですが…。つい先日「銭函金助」がテレビで紹介されていましたよね?その放送を当社の従業員のご家族が見て、札幌千秋庵のお店で「銭函金助」を買ってきてくれたと嬉しそうに話していました。当社の製造メンバーにとっても「うちの会社の商品が札幌千秋庵のお店に並んでいる!」という喜びがあるんですよね。札幌千秋庵の看板商品を自分たちが作るという経験は自分たちにとって貴重なものになりました。
関谷:今後も北海道コンフェクトグループの一員として力を合わせて頑張っていきたいですね!