「チ・カ・ホは生きている〜札幌駅前通地下歩行空間誕生秘話〜」(2)
前回の「(1)チ・カ・ホ開通にどう関わってきたか」はこちらからご覧ください。
(2)チ・カ・ホ開通までの道のり
内川:皆さんからのいろんなお話を聞いていて、気になるところがたくさん出てきています。皆さん共通して、それまでは個別の部局ごとに事業をやっていく、業務をやっていくということだったんだけれども、これをきっかけに関連部局がバラバラではいけないとおっしゃっていたと思います。当初その連絡会議的なものをやるってなったときに、市役所庁内の皆さんからはどんな反響があったんですか?そういうのってなかなかない会議なんですか?
八柳:その時は、みんなやることが切羽詰まっていたから、都心交通はワークショップをやらなきゃならなかったし、建設局は予算ついてすぐ設計しなきゃならないわけですよ。星さんのところも、都心のまちづくり計画をつくりはじめていたから、やらざるをえなかったという。みんな、やらざるを得なかったんだけども、自分ひとりではできないから、みんなで協力してやろうということでたまたま一緒になったのかなあって。
で、石塚さんみたいな作戦部長がいたので、うまくバラバラにならないでできたのかなあと。やっぱり役所だけだと、役所の論理だけでまとまっちゃうんですよね。それまでもワークショップやなんかをやった時に、お前役所の回し者だなんて言われるんですけど、そういう風にならないように市民議論を進めるか、というのは石塚さんにいろいろ教えてもらったなということですね。
内川:清水さんはいかがですか?
清水:我々も、先ほど言ったように、どちらかと言うとあとの方で仕事を引き継ぐほうが、今まで解決していなかった問題が残されているという、大きな施設になるほどそういう問題があったので、今回ほどこれだけ大きな期間、市民に問いながらつくる巨額の投資をする事業というのは、後で維持管理をするときに、あれもできないこれもできない、あれ壊れた、使えない、というようにならないようにしないといけないということで言えば、ちょうどデザイン検討部会というのを緑の計画からやっていく段階から、できるできないははっきり言わないとだめだねという話をして、星さんたちもすごくそれを受け止めてくれた。
そのデザイン検討部会の先生たちも、土木系の専門家の先生もいたので、僕らが言ってることをよく分かってくれる。いわゆる計画構想レベルだけでなく、実態としてそもそも、これが活用があってはじめて生きる施設だということを考えた時に、活用ができない施設をつくっても意味がないと。それを司る活用部隊の管理するチームが法的な根拠も含めてですね、ちゃんとできるという確証を持ったかたちで動かさないといけないという認識を持ちながら一緒に進めてくれたというのは大きなことだったかと思います。
さらに、我々事業部隊や維持部隊にとっても、初めから関わったことで、そもそものこのチ・カ・ホの持つまちづくり上のにぎわいの軸という意義を理解し、その活用しやすい維持管理とはどうあるべきかという視点を持つことができて、それを引継ぎ続けていく大切さも認識できたという点において、非常に意味のある貴重な取り組み方だったと思います。
内川:ありがとうございます。それを側で見ていた石塚さんはどうでしょうか?
石塚:1000人ワークショップという場があって、市民と向き合わなければならなかった。実際は1000人も集まりませんでしたけども、あれだけ大きく市民の声を聞く場を設けたということの緊張感は結構、札幌市の皆さんが結束を高める上では、役割を果たしたのではないかなと思います。
それと同時に、当時からもそうですし今もそう思っていますけど、札幌市の職員の皆さんってすごく優秀で、ご自分の仕事に責任を持つのと同時に、全体を見ながらどうあるべきなのかということをきちんと考えられるお力を持った方々が多くいらっしゃったので、そういう部局横断的な会議が開かれても、自分のことは考えるけれど他の人の悩みは共有しないとか全然なくてですね、とても前向きな会議になっていったんじゃないかなという気がいたします。
それこそ、清水さんがずっとおっしゃられている、つくるということから使うというところまでの一気通貫で、役所の中が意思疎通を図って、施設を考えていくっていう。企画を考える側の人たちも、丸田さんなんかはエリアマネジメントみたいなことを端から考えてたし、それからこういう施設をつくったら活用されるための広場条例のような仕組みをつくらないとだめなんだということも、当初からおっしゃっていたように、企画を考えられる方自体も最終的な施設が運用されたとこを想定しながら、いろいろ動かれるっていうことがあったので、うまく機能したんじゃないかなという気がします。
内川:チ・カ・ホがオープンする半年前になって、やっと担い手が決まったというか、できあがったという。そのタイミングくらいから私も、石塚さんにくっついていきながらここはどういう施設になっているのかなどを知っていきました。札幌に来た時にはまだ工事をしていて、オープンする直前になってやっと地下歩行空間の中に入らせてもらって、使える空間はこういう空間なのかって空間認識をやっとできました。
そのスパンはすごい短かったんですけど、石塚さんの頭の中ではこういうゾーニングだとかってどんどんアイデアが出てきていました。そういうのもやっぱり市民の声を聞いていたからこそだと思うのですがいかがでしょう?
石塚:市民の皆さんから言われた点というのは、2001年に開催した、当時地下通路って言われてましたけど、地下歩行空間がどういう施設であったらいいかというときに出された意見がすべてを語ってたんじゃないかなと振り返って思います。それは、単なる通行のための地下通路はいらないっていう大前提のもとに、沿道の建物と地下が一体につながる必要がある。交差点には市民の憩える広場があり、地上の中央分離帯や出入口から太陽の光が注ぎ、ユニバーサルデザインである空間であってほしいと。
内川:まさに今のかたちですね。
石塚:これが2001年の、40人集まった市民ワークショップの結論だったんですね。それが今、目の前に実現しているということなんですけれども。今、内川さんおっしゃるゾーニングだとか、チ・カ・ホの考え方については図面を見ながらの思いつきです。全地下歩行空間ってものすごく長くて、それを4m幅分両側を貸し出すという、それの稼働率が当初予定で何%でしたっけ?
芳村:私も実は古い資料を紐解いて、いろんなものがあったんですけど、最終的には実は交差点広場で休日12.5%、平日7.5%。憩いの空間に至っては休日10%、平日6%の予測だったんですね。
石塚:6%×あの全長って考えると、常にどこかでばらばらとイベントが行われている状況になる。それと当初のまちづくり会社は…、越山社長さんと、それから白鳥さんと、私が非常勤で入って、あと内川さんと中澤さん。そういう少人数でまわせる規模じゃないっていうことが分かったんで、どこかに集中して、一番賑わっているなあと市民の皆さんが実感できる場所を特定して、そこだけ集中して頑張ろうと。それが北3条交差点広場を中心とした、前後の憩いの空間だけに集中すると。結果的にそれはいろいろな面で、良かったんですよね。
内川:すごいスケジュールの管理が大切!ということ、開業の日から遡ってこういうふうに決めていかないとっていうのを、札幌に来てから半年間ずっと言われてきました。
石塚:3月に開業するっていうのにその前の年の9月に会社ができて、空間もよくわかってなかったから…。1月くらいになってようやく現場見れたのかな?
内川:協議会通信にも、見学会の様子が出てきましたよ。
石塚:無茶といえば、無茶でしたよね。
内川:見学というか、中に入れるのもここまでしか行けません、みたいなところが多くて。たしか今の北大通交差点広場(東)、BISSEのところとかは開業の1週間くらい前まで行けてなくて…。国道部分はなかなか入らせてもらえなかったから、ここがどんな空間なのかっていうイメージもできないままお客さんに貸す、ということをした記憶が。
2011年3月12日、開通時の様子
石塚:簡単な図面をもとに、模型つくりましたよね。どうなるんだろうって…。
内川:そんなこともしていましたね。今、稼働率の話になりましたけども、広場の面積が6,600平米。6%だと396平米なんですよ。いま現在、広場全部足し合わせると1,000平米近く貸し出している。
その頃からしても良い稼働率にはなっているかなと思いますけれども、当初通行量4万人と言われ続けていて、蓋を開けてみたら、人流センサー上だと10万人近い通行量になってきているんですけれども、都心のまちを変えていくと、人通りも目に見えるかたちで変わってきたなあと思います。
★次回は、(3)この10年でチ・カ・ホがどう成長したかをお届けします。
チ・カ・ホ開通10周年企画座談会
「チ・カ・ホは生きている〜札幌駅前通地下歩行空間誕生秘話〜」
収録日|2021年7月13日(火)
会 場|眺望ギャラリー テラス計画
登壇者|八柳壽修(東亜道路工業(株)技術顧問 技術士)
清水英征(札幌市建設局土木部維持担当部長)
石塚雅明(株式会社石塚計画デザイン事務所 顧問)
芳村直孝(札幌駅前通まちづくり株式会社 代表取締役社長)
モデレーター|内川亜紀(札幌駅前通まちづくり株式会社)
撮影|Doppietta photo