「チ・カ・ホとまちの文化芸術活動」(1)
今年は、チ・カ・ホ開通10周年YEARとし、チ・カ・ホを一緒に育ててきた市民のみなさま、地域のみなさまと一緒に10周年を盛り上げる企画を行っています。1回目の座談会の内容はこちらのマガジンにまとめております。
このnoteでは、テーマ別に「座談会」形式で取材をした内容を公開しています。2回目は「チ・カ・ホとまちの文化芸術活動」と題し、チ・カ・ホを舞台に主催事業を企画するまち会社スタッフ2名と、様々な企画にご協力いただいている2名の方を登壇者とモデレーターに迎え、この10年間の活動を振り返りながらこれからのお話をしていただきました。
※本座談会は、新型コロナウイルス感染症拡大予防のため、室内の消毒、全員マスクを着用したうえで実施しております。
(1)チ・カ・ホとの最初の関わり
●モデレーター
酒井秀治|(株)SS計画代表取締役 / まちづくりプランナー
1975年札幌生まれ。北海道大学工学研究科を修了後、2000年より東京のまちづくりコンサルタントにて主に密集住宅地の再生に従事。2007年夏より、(株)ノーザンクロスにて都心の再開発や広場づくり、リノベーションによるサロン、カフェの企画・デザインを通じて地域の再生に取り組む。2010年、市民による環境活動『サッポロ・ミツバチ・プロジェクト』を設立、理事長を務める。近年は、まちづくりとアートの学校『Think School』や市民力で都市の魅力を創造する『まちのデザイン部』にも関わる。2019年SCARTS主催「Collective P」企画・市民参加コーディネート担当。一級建築士。
酒井:最初はちょっと硬く入ろうかな。チ・カ・ホの活用と運営を文化芸術の視点で関わった人たちの裏側、秘話も含めて聞きたいと思います。レジェンド達の話はなかなか重厚だったので、我々は軽やかな会にしていきたいなと(笑)。
さて、今回は、文化芸術活動でチ・カ・ホを生かすという切り口で、実際にチ・カ・ホというある種特殊な公共空間を舞台にして色々な企画をされたり、あるいは実際にプレイヤーとして色々な所で表現活動をしているお三方に、多様な視点からお話をいただきたいと思っています。
まずは皆さん、自分の活動の背景と、チ・カ・ホとのファーストコンタクト、最初に関わったことを思い出しながら自己紹介をしてください。まずはキーボーからお願いします。
高橋喜代史 |美術家/一般社団法人PROJECTAディレクター)
高橋喜代史 | 美術家 / 一般社団法人PROJECTA ディレクター
1974年北海道生まれ。言葉や文字を扱い「分断と接続」を考察する作品を制作している。主な展覧会として、フランス、ニュージーランド、北アイルランドでの個展。カナダ、ドイツ、中国でのグループ展など札幌を拠点に国内外で活動。2020年 第3回 本郷新記念札幌彫刻賞。2010年JRタワーアートボックス 最優秀賞。2000年ビッグコミックスピリッツ努力賞。1995年ヤングマガジン奨励賞。2012年より500m美術館、Public Art Research Center [PARC]の企画やThink Schoolの企画運営など現代美術の企画も行う。2015年一般社団法人PROJECTA設立。2017年よりnaebono art studio運営メンバー。https://takahashikiyoshi.com/
高橋:高橋喜代史です。札幌を拠点に現代美術作家として作品を制作及び発表をしています。2013年から、一般社団法人プロジェクタとして美術の企画をやるようになりました。
前職のNPO法人S-AIRで企画を担当していた500m美術館のイベントで、トークをしたいという話が出てたんですけれど、どの会場も借りられず困っていたときにチ・カ・ホの北3条交差点広場をお借りすることができて、イベントを開催したというのが最初の関わりです。
酒井:それは何年の話なの?
高橋:2012年、チ・カ・ホができて1年経ったぐらい?ですね。500m美術館も2011年の秋、11月ぐらいにオープンしたんです。
酒井:おぉー。札幌の地下ネットワークのインフラが次々とネットワークされるタイミングだったんだ、なるほど。では、その時のエピソードが何かあれば。
高橋:ギャラリーであるとか、アートスペースとかでイベントをやったことはあったんですけれど、パブリックな会場、1日何万人も通行するような場所でイベントをやったことがなかったんです。で、ゲストがお話しをしている時に、会場から突然「難しくて、さっきから何言ってるかわからねぇよ!」というクレームがきたんです。さすがにちょっとびっくりして。「え!?」となり、ゲストも「あっ、私の話が悪かったんですね。やめましょうか…」と、登壇者とざわざわしていたら、別のお客さんが「続けて下さい。私は聞きたいです!」と声が上がった。
そしたら、そのクレームを言った方は大人しくなったので「じゃあ、改めて話始めましょう」となった。その瞬間、僕は「これがパブリックなんだ」と思いました。僕の中に公共が立ち上がった瞬間というか。
もちろん、「難しくてわかんねーよ」って言ってもいいし、それでどうしようか主催者が困っているときに「私は聞きたいです」というもう一方の意見も出てくるっていうのが、アートに興味がある人だけが集まってくる場所でやっているのではなくて、いろんな人がいる場所でアートの話をする意義っていうのを感じた。そこで、チ・カ・ホ って「すっごい面白い」し、「すっごい難しい」と思いました。それが、チ・カ・ホと僕との出会いでした。
酒井:最高のエピソードを披露してくれたね。
高橋:いや、本当に衝撃だったんですよね。
酒井:ちょっと話は逸れるけれど、一般に開かれた場所だと目的を持ってギャラリーにトークを聴きにくる人とは違う温度差みたいのがあるわけじゃないですか。やっぱりそういうのって、ギャラリーでの空気感とは違うわけでしょ?
高橋:違いますよね。ギャラリーだと質問が出ることは多少あるけど、いきなりクレームがくるなんて予想もしてなくて、主催者側がコントロールできない面白さがチ・カ・ホにはある。
主催者と誰かという二項対立ではなくて、第三者がいかに大切かっていうのがみえた。主催と誰かだけでなく、別の第三の軸が立ち上がることで、公共というか立体的な空間が生まれるのが、すごい面白いなぁと思いましたね。
酒井:いやぁ〜、今日はこれで終わりにしよう(笑)。
全員:はっはっはっはっは(笑)。
高橋:象徴的でした。チ・カ・ホの1年目、始まりでもあるし。みんながどう接していいか、距離感が全員わかってない時だったから。
酒井:今度はいくちゃんです。場所を管理する中で、そういう多様なひとをフラットに対応するっていうことは調整がすごい難しいし、多様性を受け止めないといけないよね。そのあたりの話は何個か視点があるだろうけれど、まずはいくちゃんの自己紹介をお願いします。
今村育子|札幌駅前通まちづくり株式会社/美術家
1978年札幌生まれ。2006年より、相対する関係の間に発生する光のグラデーションをモチーフにインスタレーション作品を制作。2011年より札幌駅前通まちづくり株式会社へ入社し、「シンクスクール」「PARC」「さっぽろユキテラス」「テラス計画」などの企画や、まち会社主催事業のデザインを担当する。主な展覧会に、2019年「第7回札幌500m美術館賞 入選展」、2018年個展「むこうの部屋」CAI02、2017年「家族の肖像」本郷新記念札幌彫刻美術館、2016年「ともにいること ともにあること」北海道立近代美術館、「AKARI reflection」モエレ沼公園、2014年「札幌国際芸術祭2014」500m美術館など。https://www.imamuraikuko.com/
今村:2006年から美術家としてインスタレーション作品を作り始めるんですけれど、その時デザインの仕事とか企画を独自にやっていて。ギャラリーで働いてみたりとか、いろいろやっていたんですけれど、チ・カ・ホのオープニングの際にフライヤーのデザインをさせてもらってという縁がまずあって、そのあとまちづくり会社で働かせていただくことになりました。
チ・カ・ホがオープンして人が足りないという理由で、 CAI現代芸術研究所の端さんが紹介してくださったのがきっかけです。「脚立に登れる?」っていう面接の条件をクリアしたということで、めでたく採用されました(笑)。そして2011年5月からまち会社で働くことになりました。
酒井:そんなに入社年が早いの?
今村:そう、オープンしてすぐなんです。意外と早いんです(笑)。その時は、デザインのことはやっていたけれど、チ・カ・ホの貸し出しがメインでした。備品の貸し出しの電話受付をして、地下の備品庫で備品をお客さんに渡して、時には脚立にのぼってスポットライトをつけるっていう、なんでもやってました。
当時は5人しか社員がいなかったし、貸し出しの体制もまだ整っていなくて。今は予約システムを使ってPCで管理していますが、当時はこんなでっかい紙台帳だったんです。早くシステム化されないかなってずーっと思っていたけれど、3年ぐらいはアナログで、鉛筆で書いて消しゴムで消していました。
やっぱり、当初システムが固まってなかったから、ノウハウがないままシステムを作ると運用がうまくいかないというところがあったと思うんですよね。だから、まずは紙台帳でいろいろやってみて、自分たちも動いてみて、じゃあここは得意な会社にお願いしてというように、段々今の方法に整ってきました。
酒井:最初はいくちゃん自身がスポットライトをつけたりする仕事をしつつ、その後1年ぐらいして大きな企画の仕事をすることになるんですね?
今村:はい。2012年3月にチ・カ・ホ開通1周年記念のイベント「こどもメトロ」というチ・カ・ホ全体を使ったアートイベントがあって、私は企画者とアーティストがチ・カ・ホの中でスムーズに事業を実施できるようにする役割として、運営に関する調整を担当しました。それが大きな1回目の関わりでした。
コドモメトロと5つのふしぎ駅 ーアーティストとあそぶチカホの9日間ー
今村:アーティストのKOSUGE1-16(こすげ いちのじゅうろく)がチ・カ・ホの中で、「メトロを走らせたい」というアイデアを出してくれて、子どもがちょうど2人ぐらい乗れる足漕ぎものだったんですけれど、チ・カ・ホは道路、しかも歩行専用の場所なので、車輌みたいなものが通れるか調べたり、各所に確認に行ったりしました。
あと使う側からすると、チ・カ・ホは全部つながっているように見えるけれど、実は分断されていて、管轄が違ったりする。なのでチ・カ・ホの端から端までをメトロがぶおーっと走ることはできないとか、こうやったら面白くなるってこととギャップがありました。
さっき高橋さんも言っていましたけれど、当時チ・カ・ホができたばっかりで通行量も多くて注目されていたので、「いろいろやりたい!」とか「こういうの面白いと思う!」というアイデアと、意外とできないことあるよねっていうギャップに驚いて、使いづらいと結構言われました。
私も元々自由に生きてきたので、見えないルールやしくみがわからなかったし、使うための管理と守るための管理、色んな性質があるということも知らなかったので、そこはすごく勉強になったし、面白さと難しさが同居している、他にはない場所だなって思いました。
酒井:まぁ、最初は半分ぐらいチ・カ・ホに対してイライラしたでしょ?(苦笑)
今村:…うん(苦笑)。実は最初、使う側の意見にすごく同調していたんです。「ほんと使いづらいよね」って正直働きながら思っていたのは本当のことで。
でも、だんだんやっていくと、ここじゃないとできない効果とかポテンシャルがあるから、じゃあそのルールは守ったり踏まえた上で、何ができるんだって考えたほうが面白いし、意味があるっていう風に変わっていきました。
酒井:アートっていうか、文化・芸術、アーティストの方っていうのは、舞台が公共空間で表現活動をするときに、当然それは間を繋ぐコーディネーター役の人や、キュレーターの役割がとても大事だと思うけれど、普通はアーティストの創作活動をいかに実現するかって、そっちに寄り添う立場である人たちでありながら、いくちゃんは管理者側でもあり、絶妙な間を行ったりきたりしなきゃいけない大変な役回りってことだよね。
ただ、その制約みたいなものが、逆に可能性みたいになるっていうのもあるのかな。この後PARCの話にもなると思うけれど、洗礼を受けつつ、可能性も感じた出会いだったんだね。
じゃあ、次、耕平くんには、まち会社のスタッフでもあり企画側でもあるけれど、実際自分が表現するパフォーマーとして使ってきたということ含めて、自分の背景と最初にやったことを教えてください。
小西耕平札幌駅前通まちづくり株式会社/ジャグラー・コーヘイ
2003年にジャグリングを始め、2007年よりジャグラー・コーヘイとして活動。札幌市内のイベントを中心に道内外で活動するジャグリングパフォーマーであるが、2013年の大学卒業&就職を機にパフォーマンスから離れる。
しかし、翌2014年に札幌駅前通まちづくり株式会社へ転職するとともにパフォーマンスを再開。イベントの企画・運営や管理においてパフォーマーとしての知識・経験を活かしている。普段は経理担当。https://jugglerkohei.jimdofree.com/
小西:はい。まち会社で現在は経理を担当している小西耕平です。
酒井:昔、銀行にいたこともあったんだよね?
小西:まち会社には2014年に入社して、現在に至るまで働いているんですが、その前の段階から関わりがありました。2011年5月に「チカチカ☆パフォーマンススポット(以下、チカチカ)」の正式開始前の実験段階がありまして、そこに参加をさせていただいたのが始まりですね。
当時、直接まち会社から依頼が来たわけではなく、まち会社からチカチカのコーディネートを運営委託していたコンカリーニョさん(NPO法人コンカリーニョ)経由で、私のパフォーマンスの師匠・トイシアターというパントマイムユニットから「こういうのがあるから一緒にやってみないかい?」と誘われたんじゃなかったかなぁ…確か。記憶が定かじゃないです(笑)。
酒井:コンカリーニョっていうのは、まち会社の前社長の白鳥さんとちずさん(NPO法人コンカリーニョ理事長、齋藤ちずさん)との関係がある中でだよね。
白鳥さん流石だよね。仲間をすぐ引き込んで、実現させたということは。その声がけは、正式に始まる前のことだったんだね?
小西:そうです。5月から試験期間を経て9月に第1期公開オーディションをやって、それが正式スタートだったと思います。当時、僕は大学3年生で、第1期の頃は論文をつくる時期で忙しくて、正式スタートには最初からは参加しておらず第2期から参加しました。
第2、3期は活動したんだと思うんですけれど、今度は就職活動があって、銀行への内定が決まり、2013年からは就職をするので一回パフォーマンスは趣味としてジャグリング楽しむだけでいいかなって離れたんです。けれど、銀行の仕事があまりにも合わなくて、入行した最初の年の10月ぐらいにはもう辞めますって言っていました。
酒井:その段階では、自分がまち会社に入るとは思っていなかったんだよね?
小西:いや、実はですね…やっぱりある程度自分の身の振り方を考えたときに、やっぱり無鉄砲に転職活動したらだめだとは思っていて、どこからか直接の知り合いとかに当たるのがベストだろうと思っていた。
で、まだパフォーマンスをやっていたときに、白鳥さんから江別の住宅地のお祭りがあるからパフォーマンスをやってという相談が直接あって、連絡先を交換していたんです。そこで、「そういえば(まち会社が)あるな」って。やっている活動もチカチカがあるし。イベントとかもやっているし、とりあえずここしかないなってことで、白鳥さんに連絡したんです。
皆:へぇ〜〜〜〜〜!!!知らなかった、初めて聞いた!
小西:で、そのときに電話で一発目から「銀行を辞めることにしている」と言ったんです。その一方、銀行にも「もう次決まっているので辞めます」という風に伝えていたんですよ。どっちも退路を絶つことをしました。
親にも誰にも言ってない頃なんですけど、どうせ反対されるんだろうから、だったら自分の決めた方向に行っちゃおうっていう。それで、白鳥さんがまずは一回話をしようと言って面談に行ったら、内川さんとか菊地さんに話を聞いてもらって。菊地さんにはそのとき、「銀行の方がいいぞ」って言われました(笑)。
皆:ははははは!
小西:それで、まずはアルバイトから始めようということになりましたが、ちょうどその後退社する方がいらっしゃって、タイミングがよく入社することになりました。
酒井:パフォーマーでもあるし、なのに銀行にも入るっていうギャップも面白いと思ったんだろうね。知らない話だったなぁ。でも、白鳥さんは、実際にパフォーミングをしてる人をスタッフにうまく入れるなんてなかなかですね。
タイミングも良かったかもしれないけど、多様な人材を入れるというのはすごいですね。いくちゃんだって、アーティスト兼まちづくり会社のスタッフだなんて、全国では第一人者でしょ?当時いなかっただろうね。
今村:おそらく。あまり聞いたことはないよね。
酒井:そのひとをまち会社で雇うと決めた白鳥さんという人は、やっぱり目があったということなんでしょうね。自分が演じている、表現活動しているからこそ、場を作ることや企画側としても何かプラスになることにつながっているだろうということだと思います。その話は追々聞かせてください。
★次回は、各事業のお話からチ・カ・ホを生かすことについてお届けします。
チ・カ・ホ開通10周年企画座談会
「チ・カ・ホとまちの文化芸術活動」
会 場|札幌駅前通まちづくり株式会社 MEETING ROOM1
登壇者|
高橋喜代史 / キーボー(美術家/一般社団法人PROJECTAディレクター)
今村育子 / いくちゃん(札幌駅前通まちづくり株式会社/美術家)
小西耕平 / 耕平くん(札幌駅前通まちづくり株式会社/ジャグラー・コーヘイ)
モデレーター|酒井秀治(株式会社SS計画代表取締役/まちづくりプランナー)
撮影|Doppietta photo
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