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レコーディングの軸を宣言すること

先日、櫻田潤さんと清水淳子さんのトークイベント『視覚化手法およびビジュアルプラクティショナーの過去・現在・未来』にて、グラフィックレコーディングをさせていただきました。自分にとってはとても学びの多い会でしたので、忘れないうちにメモしておきたいと思います。すごく乱文です~。

視覚言語、ビジュアライゼーションの流れ

今回のイベントは、櫻田さんの御本『たのしいスケッチノート』の刊行記念イベントとして、青山ブックセンターで行われたものでした。

対談は『Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書 』の著者として知られる清水順子さん。そして、過去に出版されたお二方の御本の編集を担当されているBNNの村田さんがファシリテーターとして登壇されました。
(今でこそ「視覚化」が注目されて久しいですが、かなり早い段階から、「視覚化」の可能性を発信しようと活動される編集者の方がいらしたことは、私にとって当日の驚きの一つでもありました)

グラフィックレコーダーが6人

今回、特殊だったのはグラフィックレコーダーが6人入り、それぞれがそれぞれの軸でレコーディングをしたこと。櫻田さんのビジュアルシンキングラボのグラレコ部有志6名が参加しました。またとない機会だったので、希望者、多かったんです(ははは)。

「6名は多いよね…」「6名でできることは何…」ということをメンバー同士で当日ギリギリまで話し合い。悩めるなか、登壇者の方々を含めた直前のミーティングで「6名がそれぞれ自分のレコーディングの『軸』を決めて予め宣言し、会の終了時にレコーディングを振り返る」ことに決定しました。

「レコーダー」である自分に書き込まれるものは何。

『軸』。軸とは。

実は過去に、清水さんが関わられていた演劇のグラフィックレコーディング企画に参加させていただいたときにも、この「『軸』を決めて描こう」というお話がありました。
(「プラータナー:憑依のポートレート」。グラフィックレコーディングの様子はここでレポートされてます。事前のワークショップなど他のレポートも参考になる点がいっぱいあるし、演劇の捉え方も変わるので、とっても読んでいただきたい記事)

清水さんの表現を正確には覚えていないのですが、その時、「軸とは、自分がテープレコーダーだとして、そのテープに情報を刻む針」だと想像したことを覚えています。自分の針は何によって動くのかを、最初に決めておくのです。

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今回、私は「お二方の流れ(歴史)の融合」を感じるところを描く軸と決めました。清水さん、櫻田さんが経験してきたことはそれぞれ違うけれど、お互いの感じる共通点が、視覚化手法の過去・現在・未来の道筋を表しているのではないかと考えたからです。お二方の歴史を左右に表し、真ん中の縦軸に歴史の流れを表現できればよいなあ、と考えました。

ほかにも、「会場が盛り上がったところを描く(湯朝かりんさん)」だったり、「話の足跡を描く」だったりなど、レコーダーによって、様々な軸が挙がりました。とても面白かった。

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振り返りと、その後の語い。

(↓ ラボメンバーのキシモトさんが、その時の様子を動画を撮っていてくださいました。ありがたい…)

6人のグラフィックはこんな感じ。(またキシモトさんに頼る)

当日の私のレコーディングはこのようになりました。当初の軸が思うように描けたかは微妙ですが、数日経って見返しつつ、印象に残った問いを何点か。

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1.わかりやすさの罠

お二方とも、それぞれの経験を通して視覚化手法を考察していらしたのですが、共通点として挙がったのが「わかりやすさ」の危うさ。わかりやすく伝えることは、良い意味として捉えられがちだけど、「それでわかった気になる→考えない」という事象を増やしていないだろうか?  

櫻田さんは、美しくすっきりと整ったインフォグラフィックへの反応からそれを感じ、現在は手書き、ストーリーなど「感情を加味する」方向にきていると言います。その流れで言えば、今回6人のグラフィックレコーダーが立ったように、「書き手の多様化」が起こっていることに手ごたえを感じていると話されました。

清水さんも、「すっきりわかりやすくまとめてくれて、ありがとう」と言われることに危機感を感じたそう。完璧なものを出すのではなく、「未熟なもの」を出すことが、読み手に思考を促すことにつながるのではないかと話されていました。

先述のレコーディングの「軸」を出すことは、「感情を加味し」「読み手に読み解きをゆだねる」ことにつながるのだなあ、と感じます。

2.グラレコは公のもの、スケッチノートは自分のもの

これはずっと引っかかっていたこと。私の描いているものはグラレコと言っていいの?ダメなの?問題。これは、その「場」に貢献するものか、自分の考えを伝えるものか、で異なる。ふむ。これは最近とても意識している。みなさんはどうだろう?

3.記号化の危険性

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グラフィックレコーディングは、感情を記号で表すことを、通常では是とされています。「悲しい」なら、目にちょっと涙を垂らすような。でも記号で簡単に表すことで、その裏の深い深い感情を、簡単にくくってしまってはいないか? 「私の悲しみをこんな記号で表現してほしくない」ということだってあるだろう。

これは会が終わった後に、少しお時間をいただいて、清水さん・櫻田さんとレコーダーの人たちで語った時間に出てきたテーマ。いつもレコーディングしながら、「これでいいのかな」と安易な記号化にもやもやしていたので、それを皆さんと話せたことはありがたかった。

記号化の良い部分を踏まえつつも、少しでも話し手の心に近しい表現ができるような表現力をつけたいなあ、と思う…。思います。


もっといろいろたくさんの気づきがあったのですが、長文になってしまった。貴重な機会を設けてくださった皆さまに感謝いたします。



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