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根っこを育てる教育が本質的に大切だと思ってやまないのです*

【CTREE.Root】
きしもとたかひろさんのnote.を読みながら。あー本当にそうです。。と言葉で言語化が難しい保育の事を、鮮やかに具体的に表現されていてぐっときました!!

保育や介護などの福祉系の業態は生産性が見えにくい仕事です。基本的には0から1を生み出したり、1を100にしたりするような仕事ではなく、日常を保つ(0を保つ)仕事です。0が1になっても気づかれることはないけれど、0が少しでもマイナスになろうものなら叩かれるような仕事です。

幼児期はとくに、非認知能力(※1)を育む時期だから見栄えしない毎日が続くのは当たり前で、なによりも今を毎日を楽しく充実して過ごすことが大切になってきます。
(※1 非認知能力:自尊心などの前向きに生きる力の土台。逆に読み書きなどの目に見える能力を認知能力といいます)

けれど、
実際は目に見える生産性を求めて、行事のために太鼓を叩かせたりお遊戯をさせたり、英語教育プログラミング教育など、見栄えするものに力を置くような保育を行なっている保育園がほとんどです。日常の保育が行事のためになり、創作を楽しむはずの制作が誰かに見せるものになり、子どもの成長が小学校の準備になってしまっています。残念ながら太鼓を叩けるようにすることや上手に折り紙を折れるようにすることに、「保育士の専門性」はありません。

仕事をしている中でなにか成果を求めたくなるのは自然なことですし、保護者からもそれを求められていると感じるのも自然なことです。けれど、私たちの仕事はそれではない。

子どもの意見を尊重すること、何に興味関心を深めているかを発達段階や環境を考慮して考察すること、それが一ヶ月ずっとダンゴムシを集めていることだとしても、それを専門的な見地から捉えて保護者に伝えて安心してもらうこと。何げない毎日がかけがえのないものだということを伝えていくこと。そういう積み重ねが僕たちの仕事です。(それだけでは無いですが)

けれど、人間にはキャパシティ(容量)があります。ただでさえ決められた業務をこなすことで精一杯なのに、成果が目に見えにくい取り組みに力を入れることはなかなか厳しいのが現状ですし、園の方針と諦めてしまって自分を責めてしまってしまっている人もいると思います。古く根付いてしまっている文化であり、残念ながら保護者もそれを望んでしまっているのいう根深い問題があります。(これも保護者が悪いという話ではありません)

本当に現場で立ってきた身としては。保育を勉強してきた身としては心に沁み込みました。。。

保育という仕事は目に見えて結果は見えにくいお仕事です。日々の積み重ねであり、生活であり、繰り返し行っていく過程が貴重な習慣作りであり、心と体を育てて育んでいく。そんなお仕事です。

世の中はどんどんスピードや効率を求めていくけれど、子どもの成長は1日2日でできるものではありません。だからこそ、社会でがむしゃらに「仕事」をしてきた大人側からすると、全く違う価値観を持っている「子育て」との間にある大きなギャップに悩む人もいるように思います。

子育てはとても時間がかかり。根気もいるし、結果は目に見えてすぐに分からないから。こうしたら全てOKという成功の法則というのもないです。その子の発達やそれぞれに合った保育と教育があります。

ただ、保育や教育を学んでいるなかで。これは本当に大事だな。ここが本質だな。と感じたことは何かというと。

「根っこを育てる事」が本質的に大事だ。

ということを声を大にして叫びたかったりします。

どういうことか少しイメージしやすいように説明してみます。一つの苗木を思い浮かべて下さい。

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苗木を育てる場合、りんごとか桃とか。そういう実を私たちは早く欲しく思いがちです。

しかし、木から実を得るためには、

まず地に種を蒔いて水を与え、

雑草を抜いて、虫を捕まえて、

手入れをしなくてはいけません。

木が大きく育つためには何が重要だと思いますか?

そうなのです。根っこなのです。

根っこが丈夫であれば栄養をぐんぐん吸収するようになり、木が少しずつ成長し、最後には苗木の個性の通りに育てた通りに実が実るようになります。

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このように実が実る為には過程を経なければなりません。

このように、苗木が子どもだとするならば

根っこは子どもの心・考え・愛情・自己肯定感・感性・生きる力など。人間として本質的に大事な部分だと思います。しかし、これはものさしや量りでは価値を見分けにくいのです。でも、人間にとってまず最初に大切なものであると私は思います。そしてこれは、体といつも繋がって相互作用しています。体も健康であることが大切です。

この根っこを育てるために。シュタイナー教育があったり、モンテッソーリ教育があったり、自然教育があったり、子どもの発達の過程があったり。体によいバランスのとれた食事や無添加の食べ物であったり。なんでもないことに、じっくり時間を使って気になることをとことんやってみることだったり。根を育てる方法は様々ありますが、それが本質的に大事なように思います。

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例えば、子どもが絵を描いたとき。最初ぐしゃぐしゃに見えたりしますよね。でも、それは発達の過程で通る道であり、手や腕の発達の運動をしているのです。

しかし、どうしても大人の目線で見ると「これがいぬ??」「もうちょっと上手に描けないかしら」そのように技術や結果を見てしまうことも多いかもしれません。

しかし、子どもの行動一つ一つに目を向けて。今は根っこを育てている時期なんだ。と思って

「すてきな絵がかけたね」「もっと描いてみたい?」「いぬを描いたんだね」そうやって子ども自身を認めてあげながら、生活のあらゆる場面で自己肯定感を育てていったりしていくのです。

日本の教育が。英才教育や詰め込み教育に偏り過ぎるのではなく。特に乳幼児期は子どもの根っこを育てる保育や教育の重要性に一人でも多くの人が気づいてくれたらいいなぁと思います。大人から見ると無駄と思えるかもしれない生活の中に、子どもの成長にとっては大事な宝のような経験がたくさん転がっているという事。

すぐに成果は見えないけれど。子どもが未来。幸せに生きていくために。「この世界に生まれてこれて幸せだ!」と思えるようなそんな世界を作れる大人たちが一人でも増えていったらいいな。大人の子ども理解がどんどん進んで、そんな世の中を作って行けたら素敵だな。そんな風に思います。

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最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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