実録 ドラキュラ菜園に立つ 7
わたしを間引かないで
さて耕した土地に何を植えていくのか。あれもこれも植えたいという欲望優先なので、作物一つあたりの収量は高くなさそうである。そして植えるものを調達しなければならないのだが、トマト、ナスなどの夏野菜はまだチト早い。春の夜風は案外寒い。春の陽気に誘われてうっかり薄着でフラフラと花見などに出かけ、酔っ払った頃には「ああしまった、まだコートが必要だった」と震えながら帰ること多々の私としては、植物たちにだってそういうことは起こり得るのは十分に予測がつく。ので、ここは慎重に、一部の苗を除いてはまだ種まきなどをして楽屋裏で仕込みをする作戦に出た。育種ケースで種を蒔いたのは二十日大根、スプリングほうれんそう、ナスタチウム、サンチュ、マリーゴールドなど、直播で蒔いたのはとうもろこしとつるありインゲンである。
畑の設計図を描いたのが上記の図である。4区画に区切って、科の近いものを植えて、輪作に備える作戦である。果たしてどうなりますことやら。
植物を育てるときの醍醐味のひとつが芽生えである。芽が出てくる、ただそれだけのことを目撃するのがどうしてこうも胸はずむのか。毎日まだ黒々としてなんの予感のない土を凝視し、ほんのわずかでも芽らしきものがないかとやきもきすること4日から一週間、「あれ?これ、芽?」と疑念に思うその小さな物体は、ついに地面を割ってかわいらしい姿をあらわす。
しかし、待ちわびたその後すぐに相反するかな、一斉に生えてきた健気な芽たちを選別する間引き作業がやってくる。わたしはこの間引きがとても苦手である。だって、せっかく生えてきたのにぃ。全員なんとか育てたい!と思うのだがそういう優柔不断なことをしているとすべてが共倒れになるのはよく知っている。そういうわけで仕方なく間引くのだが、どれを間引こう、これはややひょろひょろしてるしな、とか、これはちょっと不格好に生えてるから将来性がないな、などと考えながら作業をしていると、感情移入から暗い気持ちが頭をもたげてきて、つい引っこ抜いた芽も他に植える場所がないか探してみて、結局ぎゅうぎゅう詰めである。間引いた意味あるのか。
そうして育てた小さい苗たちを、また次の週末に畑に植えに行った。スプリングほうれん草には豪華なお屋敷を建ててやる。(そうしないといけないらしいので)。おや、こないだ蒔いたトウモロコシとインゲンはぐんぐん芽吹いている。こちらも間引きが必要だ。ジャガイモも芽かきをしなければ。非情の春なのである。
ちょっと畑らしくなってきたぞ。むふふ。