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【GS2】佐伯瑛 - 周囲に愛され、自分を愛せなかった王子様【ネタバレあり】

設楽聖司、桜井兄弟と立て続けにGS3の話ばかりしてきましたが、今回はGS2の王子・佐伯瑛について考えていきたいと思います。
本当は彼の誕生日である7月19日に公開を間に合わせたかったのですが、労働にかまけていたらこんなに遅くなってしまいました。労働やめたい。

  • 最初から最後まで全部ネタバレです。すでに佐伯瑛を攻略済み、もしくは攻略する予定がない方のみ読み進めてください。

  • 要所要所で佐伯の台詞を挟んでいますが、わたしの記憶からの引用を含むため、一字一句正確ではない場合があります。


■攻略経緯と第一印象

GSシリーズのなかでも群を抜くその圧倒的人気ゆえ、GS2を手に取る前から「佐伯瑛」という名前はもちろん認識していました。
既プレイの民からは「GS2は佐伯で成り立っている」「正直佐伯のワンマンチームと言ってもいい」「佐伯瑛はいいぞ」と散々聞かされており、正直見た目はまったくタイプじゃないけれど、このキャラクターの物語はきっと大切にプレイしなければならないと思い、GS2を購入したら必ず1周目に彼を一途攻略しようと決めていました。

そしていよいよ羽ケ崎学園(通称はね学)に入学。今回の舞台はいつもの“はば学”じゃないんですね。新鮮で良い。
シリーズの舞台・はばたき市にある高校という共通点はあるものの、はね学は名門はば学よりちょっと偏差値が低めの学校という設定のようです。

冒頭のプロローグでは何やらお爺さんが童話『人魚姫』によく似たお話を読み聞かせるシーンから始まります。
それをやいのやいの言いながら聞いている男の子と女の子。これが後に幼き日の佐伯瑛と主人公であることが分かるわけですが、この時点では一応まだ謎のまま。
そして女の子(主人公)はどうやら遠くに引っ越してしまうようで、二人は「また会えるように」と灯台でキスをして再会を誓い合います。

ここでお約束の主人公の目覚め。高校入学と同時にはばたき市に戻ることになった主人公は、入学式当日の早朝に優雅に散歩に出かけたはいいものの、海辺の灯台のあたりで道に迷ってしまいます。
そして困り果てた末に見つけた海辺の小さな喫茶店「珊瑚礁」の前で、店員の格好をした佐伯瑛と出会うわけですが、このときの佐伯の第一印象があまりにも悪い。悪すぎる。

「うちの店に何か御用ですか?(にっこり)」と第一声こそ丁寧なものの、主人公がこの辺の子じゃないと分かった瞬間に態度が一変。

「朝から笑うと疲れんだよ。ただでさえ寝不足なのに」
「ゴミ捨てが終わったら駅までの地図描いてやるから、それで帰れよ」
「そこどいて。ゴミ捨てに行けないんで」

と、偉そうでぶっきらぼうな態度全開の佐伯。
第一印象の悪さはGS3の設楽聖司と実にいい勝負。

そんなこんなで「一体なんだったんだあいつは」と思いながら主人公はその場を後にするわけですが、その直後の入学式でまさかの再会。
焦ったのは佐伯の方で、「ちょっとこっち来い」と主人公を人気のない場所に呼び出します。
あらためての自己紹介もそこそこに、「店のことは誰にも言うな。いいな?」と強めに釘を刺される主人公。
ありきたりな少女漫画や乙女ゲームであればここで「分かってくれたならいいよ。ヨシヨシ」みたいな展開こそありそうなもんですが、そういうのは一切無し。佐伯ずっと冷たい。
こうして不本意ながら態度激悪カフェ男と秘密を共有した状態で、主人公とわたしのはね学生活が幕を開けたのでした。

■シナリオ概要

未プレイの方にも分かりやすいように、佐伯瑛EDのシナリオをざっくりとなぞってみます。
今回は事故チュー(GS2特有のおもしろシステム。詳しく知りたい方はググってください)は佐伯以外、バイトは佐伯のことがより深く知れそうな珊瑚礁にしました。

さて、わたしはともかく主人公は佐伯が働く喫茶店の名前が「珊瑚礁」であることをすっかり忘れていたようで、意気揚々とバイトに応募し初日を迎えます。
そして当たり前にそこに居る佐伯。「今日からバイトで・・・ていうか佐伯くんだよね?」と話す主人公に「1名様でよろしいですか?」と営業スマイルでガン無視をカマす佐伯。
空気を読まずに「佐伯くん学校のときと全然違うね?」などと話し続ける主人公に佐伯は痺れを切らし「ちょっとツラ貸し・・・いえ、よろしいですか?」と主人公を店の外に連れ出します(ここ佐伯が佐伯してて大好き)。

おまえはここでバイトすんな!いやだ、やるもん!と口論を繰り広げる二人のもとに瑛の祖父でもある珊瑚礁のマスターが現れ、なんやかんやあってひとまず主人公は無事珊瑚礁でバイトできることに。

そして主人公は珊瑚礁でのバイトを通じて、佐伯がただのアルバイトではなく本気で祖父のもとでバリスタ修行を行っており、学校のある日もない日もほぼ毎日、早朝や深夜も店に出て一生懸命働いていることを知ります。

そして普段の学校生活では佐伯は「はね学のプリンス」と称される大人気の有名人で、いつも女の子たちに囲まれています。
それは彼の容姿が整っていることももちろんですが、まるで王子様かのような爽やかで物腰柔らかな振る舞いからのものでした。
さらに定期テストの順位は毎回一桁。スポーツをやれば大活躍。
まさにみんなの憧れの完璧な男の子。学園の理想の王子様像そのものです。

お分かりかとは思いますが、つまり佐伯は学校では思いっきり猫を被っています。
とんでもない口の悪さやひねくれた態度は、主人公以外には一切見せることはありません。
当然ながらだいぶ無理をしているようで、時折校内で主人公に遭遇したときには精神的に疲弊した様子を見せることもあります。

なぜここまで徹底して猫を被って、王子様や優等生のような振る舞いをし続けるのか。
その理由は彼の両親との約束にありました。

佐伯がはね学に進学した理由は「高齢となった祖父の後を継いで喫茶珊瑚礁を存続させたい」という夢からでした。
佐伯の実家はどうやらはばたき市から遠いところにあるようで、保守的でエリート志向の両親は息子のはね学入りも珊瑚礁を手伝うことも大反対したそうです。
それでも夢を諦められず、生まれて初めて真っ向から両親に逆らった佐伯。
そこで両親が出した条件は二つ。「ゼッタイ成績に影響が出ないこと」「学校では問題を起こさないこと」
これを破れば実家に連れ戻され、珊瑚礁の夢を諦めることになってしまう。
だから佐伯は何が何でも優秀な成績を取り続け、優等生ムーブをし続けなければならないのです。
たとえ店と学校の両立でどんなに睡眠不足が続いても。
日常生活において本来の自分らしさを押し殺すことになったとしても。

このように学校では徹底的に猫を被ってプリンス然としている佐伯ですが、不本意とはいえ主人公には本性がバレているので、主人公と二人のときには容赦なくその口の悪さやぶっきらぼうな態度をぶつけてきます。
そして度重なるデートやイベント等を経ていくうちに、佐伯瑛という人間の人物像がだんだんと明らかになっていきます。

運動神経の良さは恐らく天性のものだが、勉学はどちらかというと秀才タイプで、努力している姿は絶対に人に見せないところ。

超がつくほどの負けず嫌いで、ダーツやボウリングでは異常に熱くなって楽しそうに勝負を仕掛けてくるところ。

視力が悪くて普段はコンタクトだが、たまに一人のときには眼鏡を掛けていて、なかなか似合っているのに「眼鏡はカッコ悪いからヤダ」と頑なに譲らないところ。

趣味を聞かれて答えに詰まってしまうほど、自分の時間をほぼすべて夢のために費やしていること。

「波乗りは趣味じゃない。人生だ」と自分でカッコつけておいて、直後に自分で照れるところ。

大人っぽくてちょっと冷めている風を装っているけれど、実は怪獣が大好きだったり、海ではいきなりタコをぶん投げてきたりと子供っぽい一面があること。

人生で一番好きな時間は「夜明けの海を眺めながらコーヒーを飲むこと」と話すなど、案外ロマンチストなところ。

はね学のプリンスだなんだと呼ばれて、大人びていて全生徒の憧れポジションにありながら、その素顔はどう見ても等身大の男子高校生で、素直になれない思春期真っ只中のあまのじゃくな男の子
これこそが佐伯瑛最大の魅力であり、数多の乙女たちを虜にしている理由のひとつです。

そして数々のデートを通して佐伯と主人公は両片思いのような状態に。
残る学生生活も数か月となった3年目のクリスマス、はね学ではクリスマススキー合宿という名の大浮かれイベントが開催されます(うらやましい)。
しかし佐伯は「クリスマスはかき入れ時だから、2日も店を休めない」という理由でまさかの不参加。

パーティの間も佐伯のことが気になり、合間に電話をかけてみる主人公。
そして、電話に出た佐伯の様子が何かおかしい。
心配になった主人公はイベントを抜け出し、珊瑚礁に向かいます。
クリスマスで繁盛しているはずの珊瑚礁に明かりや賑わいはなく、中から聞こえてくるのは佐伯とマスターの言い争う声。
なんと、瑛の祖父でもあるマスターは「今日で珊瑚礁を畳む」と決意したようで、それを受け入れられない佐伯と口論になっていたのでした。

主人公の姿を見て驚きつつも、放心状態の佐伯は2階の自室へ籠ってしまいます。
「年寄りのわがままです」と閉店の理由を話すマスター。マスターは肉体的にも精神的にも無理をし続ける瑛の姿をこれ以上見ていられず、閉店を決意したのでした。
「瑛を見てやってくれ。甘え方を知らないだけで、そんなに強い奴じゃないんだ」と促され、瑛の自室に向かう主人公。

自分の夢を閉ざされ、悲しみにくれる佐伯は、主人公に「膝枕をしてほしい」と頼みます。

「俺、できること全部、やれたのかな?」
「もうちょっとこのまま・・・少し・・・疲れたんだ」
「メリークリスマス。お前がここにいてくれてよかった」

これまで夢のために自分を顧みず、ただひたすらに全力で走ってきた佐伯の糸がプツリと切れた瞬間です。

そして翌朝、夜明け前に主人公は佐伯に半ば強引にウエットスーツを着せられて、サーフボードを手に真冬の海に連れ出されます。
寒い寒いと文句を言う主人公ですが(当たり前)、目の前に昇る朝日が海を紫と橙が混ざったような神秘的な色に染め上げ、あまりの美しさに言葉を失います。
これはいつか佐伯が「人生で一番好きな時間」「いつか一緒に見たい」と話していた夜明けの海の景色でした。
「俺はもうバリスタじゃないから、帰ったらお前がコーヒーを淹れろ」などとおどけて言うあたり、いつもの佐伯節が戻ってきたように感じて少し安心する主人公。

そんなこんなで年が明け、3年目の初詣。
相変わらずおみくじには乗り気でなく、「引いておいで、お父さんここで待ってるから」などとあしらおうとする佐伯の手を「ダメ、お父さんも引くの」と引っ張ったりしながら、和気藹々とお参りを済ませます。
そして帰り道、自宅前まで送ってくれた佐伯は突然こんなことを言います。

「なあ、俺さ、店のことばっかで、ごめんな?」
「俺さ、神様に頼んでみたよ。自分に正直でいることと、人を傷つけないこと、両方叶えてくれないかって」
「もう一つ、今年がお前にとっていい年であるようにって」

突然のこの台詞から、佐伯は何かに向かって動き出していて、それでいてそこに何かしらの葛藤を抱えていることが読み取れます。
とりあえず「瑛くんにとってもいい年になりますように」的なことを言って佐伯と別れた主人公。

そして数週間後の1月末、急展開。
「話がある」と主人公は佐伯に海岸に呼び出されます。

「俺さ・・・戻ることにしたよ、家に。親のところに」
「ああ、遠いよ、ここからは。だからさっき、ちょっと早めに卒業証書もらってきたんだ」
「向こうで浪人して、親が薦める大学に行くよ」

珊瑚礁の夢を諦めて実家に戻ることにしたと、いつになく淡々と語る佐伯。
そんなの瑛らしくないよ、と止める主人公に対し、佐伯は反論します。

「・・・じゃあ、じゃあ、俺らしいってどんなだ?おまえは俺の何を知ってる?」

これに対し主人公は「学校ではいい子ぶってるけど実はちょっと乱暴で、皮肉屋で、でも海や珊瑚礁やお爺さんのことを話すときはとっても優しい目になって・・・」と、これまで佐伯と過ごした日々を振り返りながら、一生懸命に語り掛けます。

「そっちがウソだとしたら?」
「学校での俺が本当で、おまえと過ごしてた俺が、全部ウソかもしれない」
「だから忘れてほしい。珊瑚礁のことも・・・俺のことも」

今まで二人で過ごした楽しい時間を全部「ウソ」と言われ、絶句する主人公。
それでも、忘れるなんて無理だよ、と食い下がりますが、ここで佐伯が声を荒らげます。

「頼むよ、耐えられないんだ」
「これ以上、情けない俺をおまえに見られるのは・・・」

そして主人公の必死の説得も虚しく、佐伯はその場からも、はばたき市からも立ち去ってしまうのでした。
(このシーンは何周目であっても心が締め付けられるほど痛みます)

以降、卒業式を迎える日まで主人公は佐伯のいない日常を過ごすこととなります。
バレンタインデーにももちろんチョコを渡すことはできません。
代わりに、バレンタイン当日に珊瑚礁を訪れた主人公はマスターから「瑛はきっと帰ってくるから、信じてやってほしい」という言葉をもらい、僅かな望みに希望を託します。

そして卒業式の日。
羽ケ崎の灯台に向かった主人公の元に、なんとここに居るはずのない佐伯が現れます。
(以下、告白台詞の一部抜粋です)

「許して欲しい。俺が馬鹿だったんだ。せっかく見つけた人魚の手を離すなんて」
「やっとわかったんだ。ちっぽけなプライドなんて、捨てればいいって」
「カッコ悪くたって、情けなくたって、しょうがない。だって俺は、こんなにもおまえでいっぱいだから・・・」
「なあ、俺は、どうしようもないくらいガキで、無力で、間違ってばかりで・・・」
「それなのに・・・おまえはいつも、バラバラになりそうな俺を必死で捕まえてくれてたのに・・・」
「誓うよ、もう二度と離さない。だから、このままずっと・・・ずっと、俺のそばにいて欲しい」

そして主人公がOKすると、佐伯は喫茶珊瑚礁の鍵を主人公に託します。
時間はかかるかもしれないけど、これからの自分にできることをやって、いつかまたオープンできる日が来たら、一緒に店をやろう。
そんな約束をしたあとにモノローグが流れ、佐伯瑛EDは終幕。

佐伯の進路は一流大学への進学。
将来珊瑚礁を再度オープンさせることを夢見て、経営学の勉強と資格取得に励んでいるとのこと。
高校時代とは違い大学では明確かつ自分軸の目的に向かって、楽しく勉強ができているようです。
きっともう猫を被ることもなく、ありのままのクソガキ佐伯瑛としてたくさんの友人たちに囲まれながら、充実した大学生活を送ったことでしょう。

■「夢」で覆い隠していた「情けない自分」

さて、シナリオを通して佐伯瑛という人物に寄り添ってみて分かることは、彼の「理想の高さ」「自己肯定感の低さ」です。

シナリオ概要でも触れた通り、佐伯は両親に盾突いて半ば無理やり家を出てきたことと引き換えに、両親から条件を課せられます。
ただ、ここで思い出してみてほしいのは、両親が佐伯に課した条件はたった2つ、「ゼッタイ成績に影響が出ないこと」「学校では問題を起こさないこと」これだけだということです。

絵に描いたような爽やか好青年ムーブを徹底しろとか、プリンスだなんだと持て囃されるほど女の子たちに優しく接しろとか、別に両親はそこまで彼に求めてはいないのです。
ではなぜ佐伯があそこまで過剰に猫を被って、学園の王子様風の振る舞いを徹底していたかといえば、佐伯自身が思い描く「理想の自分」を自ら望んで演じていたからに他なりません。

ぶっきらぼうで、あまのじゃくで、乱暴な言葉遣いをする素の自分のことを佐伯は好きになることができず、できることなら学校で演じていた王子様のような優等生でありたいと望んでいるのです。

追加デート会話で「恋愛について」を聞いた次の回で、佐伯は主人公にこんな本音を漏らします。

「イライラするんだ、おまえといると・・・自分がどんどん情けなくなってくような気がして・・・」

この台詞から分かるのは、佐伯は主人公には本性がバレているので猫を被ることができず素で接していますが、本来の自分のことは「情けない」と思っていること。
本来であれば、好きな女の子の前でこそ理想の自分像で接したいのに、その方が「カッコいい」のに、今さらそんなことはできない。主人公には、ひねくれていて優しくなくてカッコ悪いところばかり見せてしまう。
そんな風に佐伯は感じていて、主人公への思いが大きくなればなるほど「情けない自分」にどんどん嫌気が差してきて苦しんでいるのです。

彼の語る端々から読み取るに、恐らく彼はこれまでの人生で、ずっと両親の言うことに従い、物分かりの良い「いい子」として過ごしてきたと思われます。
そして、両親に生まれて初めて逆らったのが珊瑚礁の夢を追うと決めた時です。
珊瑚礁の夢を抱き、初めて両親に反抗し、半ば強引に家を飛び出してきたのは、両親の言いなりだった「いい子」の佐伯ではなく、本来の「意地っ張りで聞き分けがなくて負けず嫌い」の佐伯です。
つまり珊瑚礁の夢とは本来の佐伯が抱いた夢であり、珊瑚礁の夢があるからこそ、好きになれなかった「情けなくてカッコ悪い」本来の自分のことも、夢で覆い隠すことである程度許容できていたと考えることができます。

だからこそ、3年目のクリスマスに夢を失ったときの佐伯のショックは計り知れません。

本来「情けなくてカッコ悪い」だけの自分を、夢のお陰である程度受け入れることができていたのに、その夢が潰えた今、ただのカッコ悪くて情けない自分だけがくっきりと浮き彫りになり、取り残されてしまった。
情けないところ、自分の好きじゃないところを主人公に見せるのは嫌だったけど、それでも「夢」があったから、「夢」を語れたから主人公の目の前に存在することに耐えられたのに。
夢を失ってしまったら、ただの情けない自分以外、なんにもなくなってしまった。
だから佐伯は「頼むよ、耐えられないんだ」と言い残し、主人公の目の前から去るしかなかったのだと思います。

例のイベントで、佐伯は主人公に「学校での俺が本当で、おまえと過ごした俺が全部ウソだったら?」と言いました。
これは主人公を惑わせるためのブラフでもなんでもなく、「頼むからそうであってほしい」という佐伯自身の願望なのではないかと思っています。
本来の自分を無理やり貫き通して、夢を追いかけてここまでやってきた。
でも結局、両親が全部正しかった。本来の自分はやっぱり情けなくてカッコ悪いだけだった。
だからもう素の自分で突っ張るのはこれでおしまい。
両親の言う通りにして、自分の理想像を演じ続けて、「いい子で完璧」な佐伯瑛として生きていこう。大嫌いな素の自分とはもうサヨナラしよう。
そんな悲しい決意が感じ取れる台詞です。

■自分に正直でいること、人を傷つけないこと

シナリオの通り、佐伯瑛の物語は3年目のクリスマス→初詣→1月末という流れで急速に進展していきます。
あらためてこの3つの節目における佐伯の心情の移ろいを見ていきましょう。

まずはクリスマス。マスターから店を閉めると聞いて意気消沈し、主人公の膝枕で涙を流した後、一緒に夜明けの海を眺めるイベントが発生します。
「この時間の海が好きだよ。人魚に会えそうな気がする」などとロマンチックなことを話してくれる佐伯ですが、同時にこんな発言もしています。

「何度見ても不思議で、きれいだ。だから、どうしても一度、おまえと一緒に見ておきたかった」
「良かった。おまえと見られて・・・」

今後も主人公とずっと一緒にいるつもりであれば、その気になればこれから先、何度だって同じ景色を一緒に見られるはずです。
それなのに、佐伯はここで「どうしても一度一緒に見ておきたかった」と、まるで今回が最後かのような言い方をしています。
つまり、珊瑚礁の閉店事件から一夜明けたこのときにはもうすでに、佐伯は主人公の前から姿を消す=素の自分を封じ込める決意を固めていたということになります。

続いて3年目の初詣。
シナリオ概要でも引用しましたが、次の台詞はとても印象的です。

「俺さ、神様に頼んでみたよ。自分に正直でいることと、人を傷つけないこと、両方叶えてくれないかって」

ここで佐伯が言っている二つの願いについて、

「自分に正直でいること」:夢を諦めたくない、猫を被っていないありのままの自分をさらけ出して、主人公のそばにいたい

「人を傷つけないこと」:両親の期待を裏切りたくない、乱暴で幼稚な言動で周囲の人や主人公を傷つけたくない

という風に読み解く人もいらっしゃると思いますが、わたしはそうは考えていません。
なぜなら、先にも述べたように、夜明けの海でのイベント時点で佐伯はすでに主人公の元を離れることを決意しており、その理由は情けなくてカッコ悪いありのままの自分に耐えられなくなったからです。
したがって、この時の佐伯にとって本来の自分は「大嫌いで耐えがたい存在」であり、「さらけ出したい」「受け入れてほしい」なんてさらさら思っているわけがないからです。

じゃあ一体なんなんだという話ですが、この台詞を読み解くことが佐伯瑛という人間の物語とその結末を理解するうえで非常に大切な要素になると感じたので、それなりの時間をかけて考えてみました。
結果、この2つの願いには「珊瑚礁の夢」「情けない自分」「主人公」「両親の期待」の4つの要素が絡み合っていると思います。

このときの佐伯瑛にとって「自分に正直でいること」とは、①本当は夢を諦めたくないこと、そして②情けない自分に耐えられないから(主人公の前から)消えたいことの2つです。
そして「人を傷つけないこと」とは③主人公を悲しませたくないことと、④両親の期待をこれ以上裏切りたくないこと

そしてこの4つはそれぞれ天秤の錘のような関係になっています。
このまま主人公の前から消えて実家に戻れば情けない自分は消滅し、両親も傷つかないけれど、夢は完全に諦めることになるし、きっと主人公は深いショックを受けてしまう。
はばたき市に残って夢を諦めない選択をすれば主人公を傷つけることはないけれど、両親に背くことになるうえに、情けなくてカッコ悪い自分が常に付いて回る。

だから彼は神様に「両方叶えてくれないか」と願ったのではないでしょうか。「全部諦めなくていい方法があるなら教えてほしい。神様だろ」と。
こう考えると、言葉面以上に悲痛で絶望的な願いであることが分かります。

そして迎える1月末の「別れのとき」のイベント。
結局①~④の願いをすべて叶える方法なんてないと悟って取捨選択を迫られた佐伯は、①の夢を諦め、③の主人公を傷つけることと引き換えに、②の情けない自分と決別し、④の両親の期待に応えることを選択したのです。

でも、結局瑛ははばたき市に戻ってきて、主人公の目の前に再び現れました。
そして彼は告白中の台詞で「やっとわかったんだ。ちっぽけなプライドなんて、捨てればいいって」「カッコ悪くたって、情けなくたって、しょうがない」と言います。
これはつまり、②の「情けない自分」をまずは自分自身が受け入れ、同時に主人公に受け入れてもらうための覚悟ができたということです。

負けず嫌いで、理想が高く、プライドもエベレスト並みに高いあの佐伯瑛が、自分の幼稚なところや情けない部分を認めて受け入れることは容易ではなかったはずです。
これは一度主人公と決別し物理的にも心理的にも距離をとったことで、素の自分で「情けなく」過ごした日々が自分自身にとってどれだけかけがえのないもので、どれだけ失いがたいものであるかに気づけたことが大きかったのではないかと思います。

そして④の両親について。これは詳しい描写はありませんが、一度はばたき市を離れて実家に戻ったことで、今までのことやこれからのことについて、両親と膝を突き合わせて話し合う時間が持てたのではないかと思います。
両親が完全に佐伯の夢を理解し、心の底から応援する姿勢で再び送り出してくれたのかは分かりませんが、佐伯がきちんと何かしらのけじめをつけてきたからこそ、再び主人公の前に現れることができたと考えるのが自然です。

つまり、一度は拒絶した「情けない自分」と向き合い受け入れるためにも、そして「両親」とのわだかまりを解くためにも、佐伯にとって一度はばたき市と主人公から離れて地元に戻ることは絶対に必要だったわけで、これがまさに彼が神に問うていた「両方叶える方法」でした。
①夢を諦めないこと、②情けない自分を受け入れること、③主人公のそばにいること、④両親とのわだかまりを解くことの4つすべてを諦めないという決意ができ、そのスタートラインに立つために必要なことをきちんとやり遂げたからこそ、佐伯はエンディングにて灯台で主人公と再会し、結ばれることができたのです。

このように考えると、もはやわたしたちプレイヤーが佐伯瑛を攻略しているのではなく、佐伯瑛が主人公と結ばれるための細い細い勝ち筋をなんとか必死で掴もうとする過程を見守っているような気持ちになります。

■きみは人魚か若者か

さて、GS2の佐伯の物語を語るうえで外せないのが、プロローグで語られる人魚と若者の物語です。
これは童話『人魚姫』と非常によく似ていますが、『人魚姫』そのものではありません。
ざっくり説明すると

自分の声と引き換えに人間の姿になった人魚と、彼女に一目惚れをした若者。
ひとときは仲良く陸で暮らすも、正体が人魚であることを村人たちに暴かれた人魚は海に帰ってしまいます。
若者は長い間海を見つめて過ごしていましたが、ある日何かを決心して沖へと漕ぎ出します。
その後若者の姿を見たものはありませんでした。

というお話です。人魚は姫でもなければ、若者は王子でもありません。
よくあるのが「佐伯と主人公、どちらが人魚で、どちらが若者か」という議論ですが、わたしは人魚=珊瑚礁の夢、若者=佐伯瑛だと思っています。
つまり、人魚も若者もどちらも佐伯瑛そのものです。

そして、この物語を考えるうえで重要なのは「人魚が自ら海に逃げたのではなく、若者と村人が遠ざけた」ということと「アクションを起こしたのは若者である」ということです。

まず、「人魚が自ら海に逃げたのではなく、若者と村人が遠ざけた」について。
彼女の本当の姿は人間ではなく人魚であり、それを村人たちが頑として受け入れず、若者もそれに従うしかなかった、ということになります。
人魚の姿は人間たちにとって受け入れがたい、耐えがたい存在であり、そこに人魚の意志はなく、彼女は海に帰るしかありませんでした。
これは本来の自分が情けなく思えて受け入れることができず、遠ざけて封じ込めようとした佐伯の行動とよく似ています。
先程は人魚=珊瑚礁の夢、と言いましたが、珊瑚礁の夢と本来の佐伯は切り離すことのできない要素であるため、人魚=ありのままの佐伯であるとも言えます。

そして人魚が海に帰った後、若者はさぞ葛藤したことでしょう。
若者にとって村は自分の大事な居場所であり、村人たちとの関わりやこれからの生活もある。
でも、人魚と過ごした楽しい日々はかけがえのないもので、失いがたいものだ。
姿かたちが理想ではないからという理由で、手放してしまっていいのか。
そして悩んだ末に、若者は人魚を探しに沖へと漕ぎ出すという「アクションを起こす」のです。
村人たちに何て言われるか分からないし、大海原に繰り出すことは大きなリスクが付きまとう。
全部承知で、それでも若者はアクションを起こし、大切なものを全部諦めないという決断をしました。

告白にOKした後、珊瑚礁の鍵を主人公に渡した佐伯はこんなことを言います。

「なぁ、俺さ、お話の続き、考えてみたんだ。聞きたい?」
「人魚の娘と若者は、広い海で再びめぐり会う。そして、手をとって浜に戻るんだ」
「村の奴らとも仲直りして、ずっと、みんなと楽しくやっていく」
「二人は喫茶店を始めるんだ。灯台の下で、ちっぽけな、コーヒーが評判の店を」

これはまさに、一度は手放した夢と本来の自分、そして主人公との未来を再びその両手に抱きかかえて、いずれは両親にも認めてもらい、珊瑚礁の夢を叶えていくという佐伯瑛の描く物語であり、ここでいう村人は佐伯の両親やこれまで猫を被って接していた同級生たちと考えることができるでしょう。
佐伯にとって全部を諦めないことは、途方もないほど広い大海原でたったひとりの人魚を見つけ出すくらい大変なこと。
でも、そんなの全部承知で絶対叶えてみせる、というのがこの人魚と若者の物語に重ねられた佐伯瑛の決意なのではないでしょうか。

■さいごに:誰もが佐伯瑛に魅せられる理由

全4作あるときメモGSシリーズのキャラクターのなかでも佐伯瑛の人気はかなり根強く、2024年版のシリーズ人気キャラクターランキングではわたしの愛する設楽聖司を抑えて堂々の1位に輝きました。
人はなぜ、こんなにも佐伯瑛という人間に魅せられてしまうのでしょうか。

「主人公にだけ見せてくれる素顔がいじらしくてかわいい」「分かりやすいツンデレが愛おしい」「大人ぶってるのに子供っぽさを隠しきれていないところに母性をくすぐられる」「デートでの主人公との会話が面白い」などと意見はたくさん出てくることと思いますが、わたしが思う佐伯人気の一番の理由は「誰しも心に佐伯瑛を飼っているから」です。

ここまで書いてきたように、佐伯は理想の自分(自己概念)と現実の自分(自己経験)との間のギャップに苦しみ、一時は本来の自分を遠ざけて封じ込めようとしました。
その姿を見て、プレイヤーは誰しも「そんなことないよ、佐伯のその幼稚で素直じゃなくて不器用で、でも一生懸命なところこそが魅力なんだよ」と、主人公と一緒に画面の前で必死の説得を試みたことと思います。

きっと他人から見た自分だってそうなんです。
もっとこうだったらいいのにな、なんであんなこと言っちゃったのかな、もっと出来た人間として振る舞いたいのに、とわたしたち人間は日々反省と自己嫌悪を繰り返しながら生きています。
しかしながら、案外他人から見ると「そういうところがあなたの魅力」だったりするわけで、人は誰しも完璧じゃないからこそ個性が光り、唯一無二の魅力として輝いて見えるのです。

だからきっとわたしたちは佐伯瑛という人間のことをどうしても他人とは思えず、放っておくことができず、堪らなくなって抱きしめてあげたくなるのだと思います。
人としての根源的なところをくすぐってくるから、佐伯瑛というキャラクターはたくさんの人に響き、誰からも愛されるのではないでしょうか。

なんだか良いことを言った感が出せたので、余計なことを付け加える前にこの辺で終わりたいと思います。
佐伯瑛はいいぞ。
それでは。


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