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2015.0213 倖せのカタチ|人生の主役はいつだってわたし
映画タイトル:倖せのカタチ
公開日 :2015.0213
主人公 :わたし
出演者 :母、祖母
祖母90歳の誕生日の時、祖母から母へ送った手紙と、その手紙に対して母から祖母へのメッセージが書かれた封筒が見つかった。
祖母から母への手紙
90年と云う長い日々を歩いてきました。
変わった人生があっただろうに、ぐちも言わず、今も私のそばにいてくれて有難う。迷惑がかかるのはこれから。残された日々がどれくらいあるかわからないけれど、私は今が一番倖せです。私を親として大切に思ってくれて有難う。私の子供でいてくれて有難う。
祖母から母への感謝と愛に溢れる手紙だった。
和歌を返すかのように、祖母からの手紙の封筒に、母からの想いが綴られていた。
母からのメッセージ
母、90歳の誕生日。親戚も集まり嬉しそうだった。いつまで生きられるだろう。母がいてくれて本当に私の方が幸せでした。貴方が亡くなった後のことは考えられません。わがままな娘と一緒にいてくれてありがとう。本当に感謝しています。
愛と感謝の親子の絆。
お互い老いてゆくことに対して、不安な気持ちはあるけれど、貴方がいれば倖せで、自分の存在のせいで、相手が倖せになれないじゃないかというのが、お互いの心配ごとであると。
母の愛で、祖母は日々を倖せに暮らし、祖母の愛で、母は日々を倖せに暮らしていた。こんなにも尊い気持ちを持った二人を、思ってもみない順番で、別れ別れにしてしまう。人生とは、とても美しく残酷だ。
二人のやりとりの中には、世間で目や耳にする介護疲れや、お互いを大切にできないような気持ちは少しも感じられなかった。
母が倒れた時、大変な状況であることを祖母にすぐに伝えられなかった。もし祖母になにかあったら、そう思ったから。。。
母のそばで付き添いをしているとき、もし自分が倒れて意識を無くしていたら、誰に来てほしいか考えた。
「お母さん」
もし意識があったなら、きっと母は、命のある間に、祖母に会いたいと言うっただろう。祖母にとっては、とても辛いことかもしれないけれど、会わせなければいけないと思った。病院のロビーで、突っ伏して泣く95歳の祖母をしっかりと抱きしめ、母の待つ病室に向かった。
母の死で、突然の別れとなってしまった絆。この世でこんなにも美しい絆に出会えたことって、すごいことなのではないだろうか。
わたしは、こんなにも素晴らし絆の中、何も知らず、ぬくぬくとわがまに生きてきた。こんなにも愛されていて、こんなにも与えてもらっていたのに。
むかしむかしのそのむかし、親子3人暮らしの時。
祖母と母が台所に立っていると、いつもわたしが入るスペースが無く。忙しそうに動く二人の背中を目で追っていた。
言い訳がましく言ってた言葉。
「台所がせまいけん、手伝いたくても、手伝われへんわ。わたしは味見専門やけんな(^^)」
そう言って、すだちの酢がたっぷり入ったすし飯の味見をした。
まさにそれが「倖せ」そのものだった。