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お盆〜おじいちゃんとおばあちゃんに会えた〜
こんばんはっ
地元の東京青梅から、SaoRiinです🌷
今週の屋久島は、ずっと天気が良くて、
雨に降られなかったのに、屋久島から出た途端、
雨に降られまくる、、、という。
雨は好きだけど、どうせだったら
屋久島の雨に降られたかったなあ(屋久島大好き病)。
昨日、屋久島から青梅に帰省してきました。
職場の人には、ご迷惑をおかけしてますが、
少しお休みをいただいて、
ゆっくりする時間を作らせてもらっています。
丁寧に暮らしているつもりだけど、
最近は、”自分を大事にすること”が、
おろそかになってしまっているなあと、
ぐるぐるじわじわと考えていました。
この、いただいた時間に、感謝して、
青梅での時間を過ごそうと思います。
会いに帰ってきたんだ(結果ね)
7月16日は、お盆の送り火の日。
私が青梅に帰ってきたのは、7月15日。
今がお盆ってことを、遺伝子レベルでは、
体が認知していたかもしれないけど、
頭では、全く気づいてなかった。
「ちょうど明日送り火だね〜」という母の言葉で、
今回の帰省は、お盆休みの帰省だったんだと、
自分なりに意味づけをしました。
この2年半で何度か帰省してるけど、
毎回なんかしらの目的があって帰ってきてた。
自然学校のキャンプとか、年末年始とか。。
だけど、今回は、なんの目的もなく、帰ってきた。
自分でもよく分からないけど、
なぜか帰ることしか頭になかった。
なのに、体は想像以上にヘトヘトで。
直前まで帰れるかどうかすら、怪しい感じだった。
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私は、根っからの強がりさんなので、
自分のために時間をつくるという事が、
したくないし、できない。
だから今回はちょっとモヤモヤしてた。
でも、こうやって、お盆の時期に、
偶然だけど、帰ってこれて、
おじいちゃんとおばあちゃんに、
会いに帰ってきた!ってなったから、
スッキリしてゆっくりできそうな気がする。
そもそもお盆とは?
東京とはいえ、
青梅という東京の中のど田舎で育ったのと、
家族たちは、昔から地元にいる人だから、
それなりに日本(地域)の行事や伝統は、
小さい頃から身近なものだった。お盆も。
だけど、毎年同じ時期にやってくる、
行事だったから、なんの疑問もなく、
当たり前のようにナスとキュウリを出して、
迎え火送り火をしてってやってた。
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お盆ってなに?って聞かれたらこう返す。
「亡くなった人が、あの世から、
こっちの世界に帰ってくる期間のこと」
「キュウリで作った馬で、早く帰ってきて、
ナスで作った牛で、ゆっくり帰る」
こんな感じ。小学生みたいな返答だ笑
亡くなった人の魂が現世に戻る期間
お盆は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ばれます。亡くなられた方やご先祖様が、あの世と呼ばれる世界(浄土)からこの世(現世)に戻ってくる期間のことです。故人が生前を過ごした場所、主に自宅でお迎えして、再び戻っていくあの世での幸せ(=冥福)を祈る機会となっています。
調べてみたけど、まあだいたいあってるでしょう。
あともう1つ。
今回調べてみようと思ったきっかけ。
時期が違うのはなんで?
昔から、世の中のお盆の時期(8月)と、
私の住んでる地域のお盆は
時期がずれているということは、知ってた。
「青梅は7月なんだよね〜」って言ってた。
これは、青梅が”田舎だから”って思ってた。
ちょっとしたことだけど、地域差があることを
感じられるから、なんか世界が深く見えて、
なんか心は豊かになってたんだよね〜
この前、職場で、8月のお盆の時期に
休みを取らなかったら、
「お盆、帰らないのけ〜?」って言われて、
「こっちのお盆は今なんですよ〜」ってゆう、
やりとりをした。
「東京はみんなそうなのけ?」って聞かれて、
急に頭の中がパニックになった。
時期がずれているのは、
”田舎だから”ではないということ。
そして、青梅が!ではなく、東京が!
なのかもしれないって思わせてくれた。
それで、調べてみた。
都心と地方の違いだった!?
色々調べて、なんとなく理由はわかったけど、
全部はわかりきれなかった〜
お盆の時期が異なる理由は、明治時代に行われた改暦が関係しています。改暦は明治時代に暦の国際基準化を目的として行われました。改暦に伴って日本の各行事は30日遅れとなり、もともと旧暦の7月15日に行われていたお盆も、改暦後には新暦の8月15日に行われるようになりました。
現在、新盆は東京を中心とした一部の地域のみで、大多数の地域は旧盆です。東京は新盆、その他は旧盆と、お盆時期のずれが定着した理由は諸説あります。例えば、農業が盛んな地方の7月は農繁期で忙しいため、1ヶ月遅らせてお盆を行った説などです。
ここ!ここが、びっくりポイント!
地方では、農作物の収穫が忙しいから、
7月の時期を避けた!って話。
知らなかったーーーーーーー
これ、知らない人いっぱいいるのでは?笑
青梅は、田舎だけど、都心部だということ。
そして、今の私の居場所は、屋久島ってこと。
離れてからわかること、
今のことに対して感謝ができることに、
ありがとうの気持ちでいっぱいだあ。
想うこと
7月16日の朝、久しぶりの実家での目覚め。
突然、大学の全休の日に戻った感じで、
なんかすごく変な感じがした。
そんな朝、私が一番に向かった場所は、
おじいちゃんとおばあちゃんがいる仏壇。
恥ずかしながら、実家にいた頃は、
命日の日かお盆か、余裕がある時か、、
ってくらいしか、手をあわせてなかった。
社会人になって、実家を離れて、
少し大人になったのか、誰に言われるでもなく、
自然と、会いに行きたいと思って行けた。
おじいちゃんもおばあちゃんも
亡くなったのは、私が高校生の頃。
手を合わせてる時は、
最後のお別れの時のことや、
小さい頃の思い出などなど。
ほんの少しの間だけど、2人の前で、
心の中で静かに、2人のことを想うこと。
言葉では言い表すことはできないけど、
豊かに生きるためには
必要な時間だなあって思った。
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できることは、やりたい。
屋久島での暮らしになってから、
”命”とか”生きること”、”死ぬこと”とかを
考える機会が増えてる気がしている。
屋久島だからなのか、
年を重ねているからなのか、
理由はわからないけど。
・命あるものをいただくということ
・自然と共に、自然の中で生きていること
・自分の命について考えること
・大切な人と、時を共に過ごすこと
そして、この数ヶ月、人の命について、
考えさせてくれる機会が2つあった。
1つは、ただただ1人で悶々と、考えた。
苦しみながら、心を壊しながら、
なんとか、どうにか、立て直した。
1人で抱えていたけど、
自分が勝手に閉ざしていただけで、
受け止めてくれる人が、
すぐ近くにいたということに
この前気がついて、より心が落ち着いた。
ありがとう。
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悲しいことだけど
2つ目は、私の大事な人の大切な人が
天国にいってしまったこと。
もちろん自分のことでなくて、
人のことだけど、身近な人が悲しんでいるのを
近くで見ていると、色々感じることがあった。
心の奥底にしまってあった、
私の大切な人が亡くなった時のことを、
思い出させてくれた。
忘れていたわけではないけど、
時間が経つにつれて、記憶が遠くなる。
だけど、その時の苦しみや悲しみは、
一生、なくならない。
そして、もしも今、私の大切な人が
亡くなってしまったらと想像しただけで、
涙が溢れちゃう。
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何を言いたいかというと、
わかろうと思いを寄せることはできるけど、
悲しみを、同じように、同じ分だけ、
分かち合うことは、できない。
ただ、他人が無理やり励ますことも、
一緒に悲しみを悲しみ切ってしまっても、
お互いがお互いを苦しめてしまう。
って、今回学んだ。
だから、私は、悲しみから受け取ったものを、
天国にいるおじいちゃんやおばあちゃん、
今元気に生きてるおじいちゃんとばあちゃんに、
想いを寄せることにした。
楽しかった思い出を思い出すことや、
一緒にやりたいことなどなどを考える。
そして、未来の後悔を少しでも減らすべく、
今思いつくことで、私にできることは、
できる限りやろうって決めた。
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今回のようにお盆に帰ってくることや、
毎日のようにしている
おじいちゃんおばあちゃんとのテレビ電話。
そして、
自分の命を大切にすることで、
お母さんやお父さん、家族、親戚、
友達、仲間、などなどへの、
感謝の気持ちを、行動に表して、
伝えていこうと思って、
私は今、生きています。
最後に
こんなに長く、そして重く、
なると思ってなかった。
ここまで読んでくださった方がいたら、
お付き合いいただき、
ありがとうございました。
相変わらず、
うまく言葉にでいなかったけど、
”今この瞬間を生きる”を大事にしたいと
思う自分の願いは、果たされたかな。
多分、このテーマについては、
これからも日々、自分の中にあること
だと思うので、また、改めて
書くかもしれません。
未来の自分に届きますように。
おーわり。
2022年7月17日 沙織