第一子出産の記録〜信じる力って 素晴らしい〜早産/低体重出生児
第一子 出産のはなし
産休に入って1週間。
休み中はなにしようかな、退屈だ。と思っていた矢先、その日はきた。
◆水曜日
職場の先輩とランチでこれを食べた
辛うまだった
その夜まだ辛さがひかず、喉が渇くので
仕事帰りの夫に
『抹茶アイスを買ってきて!』と頼んだ。
抹茶アイスを三つくらい爆食し眠りについたら
子宮に激痛が走った。穴という穴に鉄パイプを刺され突き上げられるような痛み(実際に刺されたことはない)
隣で夫はグースカ寝てる
『痛いんだけど』と言ってもね。
痛かったり痛くなかったりで 朝を迎えることができた
◆木曜日
昼から 痛い。母が『病院に電話した方がいい』というので まさかまだ生まれるわけないと半信半疑だった
なぜなら 妊娠35w
病院に着くまで 記憶が曖昧なのだが
20:00前、夫の付き添いのもとかかりつけ医の産婦人科に電話した
助産師さん『それ陣痛ですよ。なんでもっとはやく電話しなかったんですか!』
15分くらい車を走らせ、病院についた
いつもの主治医とは違う先生が険しい表情で
『今にも生まれそうだから 大学病院にこのまま行ってもらう。ここから近いから、救急車呼んでるよりご主人と車で行ってください。僕もそちらで待ってます』
22:00頃 大学病院についた
分娩台に案内され
『赤ちゃんの心拍が下がっている。このまま下から出てこなかったら帝王切開です』と説明を受けた
痛くて 耐えがたかった。 私はあまりの痛みに 嘔吐した。
夫も分娩室で泊れるようだったが 一度帰宅してもらった。『仕事で疲れているし明日に備えてた家でゆっくり寝てほしい』私の願いでもあった。
ここからは断片的にしか記憶が残っていない
金曜日
『大部屋にしますか?個室にしますか?今すぐ決めてください』
『この痛みは赤ちゃんが頑張っている証拠です。何ちゃらかんちゃら』と
K助産師の 悪態つく言い方だけは覚えている
手術台にいる私、、娘が産声を上げた
35w5d 約1600g
『帝王切開で産声をあげるのは珍しいです。元気な証拠です』と執刀医が声をかけてくださった
その後、病室に戻った
頭が痛くて ベッドのギャッジをあげたは助産師に怒られるわ、傷口も痛いし もう散々だった。
(おそらく私のカルテをみてみんな軽蔑したのだろう。メンヘラ時代に 通ったことがあるからというのは余談です)
◆日曜日
NICUにいる娘に会いに行った
帝王切開の傷跡が痛み、車椅子から立ち上がることもできなかった
『立てません、、』と看護師さんに伝えた
『あっそ…』と キツく感じた
(けど今なら分かる Nの看護師さんは切迫した状況で働いている 。私の想像力が浅はかだった)
医学の進歩も信じていたし、
なにより 娘の生命力を信じていた
何年後か、夫がぽろっと言ってたけど
「不安だった。もしかしたら…(障がいがあるかも)」と
私はまったく そんなこと考えておらず 楽観的だった
一足お先に退院した私は、足取り軽く娘が入院する病院へ母乳を届けた
『ちゃんと 五本指あった?』
『なにこの部屋、くさい』って 言った女たちのことは 忘れられないけどね。
生まれてから2週間後、娘が退院した。
成長する過程で あまり発育の曲線や育児本を参考にしていなかった
低体重で生まれたことを感じさせないほど
彼女は 身長も 体重も(態度も 笑 )スクスク育っている
来年は 小学生。
『娘ちゃん、身長大きいね。』
『え?低体重出生児なんですか?』
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