子どもの問題行動は親へのシグナル
「お母さん、ちょっとよろしいですか?」
幼稚園の門をくぐってすぐ 長女の担任が声をかけてきた
「娘さんが お砂場遊びしているとき お友達を叩いてしまい… 中略 おうちでは変わった様子ないですか?」
ついに 主任までお出まし…
「どうしても娘さんは 怒りっぽい」
「長女だから がんばりすぎているのかも」
「娘さんの話を聞いてあげてほしい」
また叩いたのか!
一才の時からなにも変わってない。
そう思った
違う、変わっていないのは 私たち親の方だ
怒りっぽいのも 私そのものだ
娘に対して 厳しすぎた それもある
そんなことする 娘が憎い。どうして 叩いてしまうの?
家族で 話し合った
長女「○○ちゃん(叩いた子)と一緒に遊びたくて叩いた。好きすぎるから」
意味わからない。いやでもわかる 。
けど 叩く事はないじゃないか。
幼稚園に電話した
「今から 親御さんのところに謝りに行きたいのでそう伝えて欲しい」と
結果
「そこまでしなくて大丈夫です。今後も気をつけてください」と親御さんは言ってくださった
もう 何度目だ。その子を叩くのは。
叩くような子に育ててしまったのは 私たち親の責任。
そしてやはり 夫婦間が荒れていたから 長女に反映した
長女は 敏感に受け取ってしまうのだ
長女をよく観察した
顔色を伺うし 言葉のトーンでも感じとる
長女本人が悪気はない こちらがギョッとするような言葉を発したとして こちらが動揺すると
彼女は見抜いてしまう
私も幼少期に感じたその気持ちは よくわかってる、経験してきたのに 彼女にもさせてしまっていることに気づいた
この手の悩みに 多くの育児書は
*傾聴してあげる
✳︎認めてあげる
だの 書いてあるが、
それは間違っていると思う
親自身が 子どもの問題行動に対して抱く
憎らしい 恥ずかしいなどと思うところを探究しなければならない
私たち親は 子育てにおける失敗を認めることがどうしても難しいようだ
子どもに対し 謝れない 親が 多い
私自身の親もそうだった。またその親の上の世代の多くが 背けてきた
自己防衛し 子どもに責任転嫁する
私たちが本来見つめなければいけないのは 常に 自分自身なのだ
子どもは いつだって 私たちを成長させてくれる 向き合わせてくれる 問題行動という名でシグナルをくれる