ジャッジメントな世界からはじめの一歩で一抜けました
子どもにやさしくねぇー親、おとなばっか
わたしもそのひとりだったし
毒親って気づいていない、親ばっかじゃん。笑
勝ち負けとかさ、
勉強とかさ
先生の評価とかさ
かつて同級生が
「負け犬の遠吠え」
と卒業してニートになった私に
言い放ったのね
「あ、先行っていただけ」
と今ならおもう。
だから現在も
10年先を生きていると思っているので
私の考えが浸透していくと思う。笑
今日という一日、
わたしがわたしを幸せにするためだけに
生きることにしやした。
(体調が絶不調の中、胃痛がやまないぜ。涙)
外の世界に行けばそりゃ
簡単にしあわせになれるよ?
おいしいものも
うつくしいものも
たくさんあるからね。
ママとしてでもなく
妻としてでもなく
ひとりのじかんになればしあわせになれるわさ
けど結局それってさ
いっつも頭ん中で考えちゃって
降りてきてます
スピってます
瞑想的です
だなんて最もらしいことばに
置き換えているけど
思考オバケ
目の前の子どもたちと過ごす
家事や育児の中で
今、この瞬間
わたしをしあわせにする
【気持ち】に寄り添うに
欠けている人ばかり。笑
冒頭の映画を観て、、
わたしゃ子どもたちにまだまだ寄り添えていなかったぜー
そして
わたしをしあわせにする、をすると
夫が5時間、昼寝してもブチギレ案件にならないぜー。笑
しかしながら
目の前の家族の気持ちに
寄り添えなかった代償はなぜこんなにも大きいのでしょうか。