私もあなたもこの瞬間一生懸命、生きている
振り返ると、、
私も
長女も
先生も
クラスメイトのお子さんもそのお母さんも
みんな一生懸命だった
それ以下でもそれ以上でもない
2年前の冬、私は
つわり真っ最中で、仕事してて
3人子育てしてて
確かに、大変だった
かもしれないけど
そんなことはたまたまの現象に過ぎないというか
本質は
根本的なところにあって。
同時に相手も皆、なにかしら大変だったんだと思う
気にしているのは
いつだって
自分自身であり、あなた自身
今もなお、次女三女は長女と同じ園に通っているから
当時の担任の先生に会うし喋る
先生は何事もなかったかのように
楽しそう。笑
「先生、髪色が明るくなりましたが、年長さんの時は気にされていたんですか?」
「そうですね、保護者の方に言われるかなって思い…」
そうだよね
評価を気にしている
私もそうだった
当時は先生に「ちょっといいですか、娘さんがー」
と言われるのが苦痛でたまらなかったよ。笑
けどなぜ苦痛だと思ったのか
嫌悪感を持ったのか
今なら自分のこと認めてあげられる
それを
担任の先生のせい
長女のせい
クラスメイトのせいに
していただけ
さて長女は
学校に行きたくない、とのことで
しばらく休むことを決めたそうだ。
担任の先生は
「娘さんは一度、スクールカウセラーさんと話してみるのはどうですか?」
と言ってくれた
が、
気にしなくなった。笑
「本人がそう望むのであれば」
長女は
スクールカウセラーと話したいわけじゃない
先生に無条件の受容してもらいたいだけ
だが
そう言ってくださったのは
先生の今の
精一杯の愛であると思うし
一生懸命なんだ、と思える。
私も含めて、一生懸命になりすぎやしないか?
それは戦うことなんですよね。
なぜ
戦いたくなる(一生懸命)のか
不安や怖れがあるから
学校にこのまま行かなくなったらどうしよう
先生に親の監督不行届って思われていないか
とかさ。
正しさより楽しさを