さくらんぼと母とわたし
「あ、そうそう、さくらんぼ送ったからね。」
実家の母との長電話の最後、唐突にその果物の名前は出てきた。
「え?さくらんぼ?」
寝耳に水ならぬ、寝耳にさくらんぼとはこのこと。
確かに私の地元は、東北でも有数のフルーツの産地で、子どもの頃から食卓にはよく果物が並んでいた。
りんごに梨、桃に柿。季節ごとに旬を迎えるみずみずしいフルーツたち。
私が結婚してからは、母がことあるごとにその美味しいフルーツを送ってくれた。
でも、どうしてさくらんぼ?
聞けば、母がいつもひいきにしている果樹園で、さくらんぼも育てていることを最近知って、買ってみたという。
ここで、母のことを、少し語りたい。
どちらかといえば私の母はサバサバした性格なので、本当は子どもをもっと自由に育てたかったのではないかと思う。
でも、生まれてきた私は身体が弱くて、しょっちゅう入院したから、過保護にならざるを得なかった。身体も弱くて性格も甘ったれだから、本当に大変だっただろう。
親なんだから面倒見てくれて当然という気持ちでいたけれど、年齢的に子育ての大変さがわかる今は、本当に感謝しかない。
そんな大変な子育てだったからなのか、母は、私の子どもの頃のエピソードを覚えてないことが多い。
私が「こんなことがあったよね?」と聞いても、「え?そんなことあったっけ?」と首を傾げる。
例えば、私が小学生ぐらいの頃、お菓子を作るのにハマって、色々作っては食べさせていたのに、そのことを全く覚えてないのである。
これには、本当に力が抜けた。
他にも似たようなことは沢山ある。
最初は母に腹を立てた。
なんでそんなことも覚えてないのだ!
親なら覚えていてよ!と。
でも、今は、めんどくさい病気を抱えた私を必死で育ててたんだもん、そりゃ色々忘れるよねと素直に思っている。
そんな母が、冒頭の電話で、こう続けた。
「あんたが子供の頃、さくらんぼが食べたいって言ってたのに、私はそんなに好きじゃなかったから、あんまり買ってあげなかったでしょ。悪かったと思ってね。だから今買ってあげるよ。」
目が丸くなるほど、びっくりした。
だって、そんなこと私はこれっぽっちも覚えてなかったから。笑
たしかに他の果物に比べて、さくらんぼが食卓には並ぶ機会は少なかったかもしれない。
でも、買ってもらえなかったことは全く根に持ってない。(そもそも覚えてないんだもん、根に持ちようもない。)
でも、母はずっと覚えていて、後悔していたのだ。ああ、やっぱり、親はいつまでたっても親でいてくれるんだなぁ。
じわぁ〜と心があったかくなって、もう少しで泣きそうになった。
後日送られてきたさくらんぼは、ツヤツヤのピカピカで、生命感にあふれていた。
洗ってそのまま食べれる手軽さが、さくらんぼの良いところであり、悪いところでもある。
ほのかな酸味と優しい甘みのバランスも最高で、ぱくぱくとつい手が伸びてしまう。
そして、記憶というのはとても曖昧だなぁということも思った。
みんな、自分が印象に残ってる場面だけを切り取って覚えているから、わたしが何気なく言った言葉も、誰かの記憶に刻まれているのかもしれない。
そう思うと、力を入れすぎてもいけないけど、やっぱりテキトーには生きれないなぁと、さくらんぼを食べながら思うのでありました。
1パック2100円(!)のさくらんぼ。
値段を聞いてしまうあたりが、わたしのダメなところである。
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