先生と呼ばれて
料理教室で料理を教えているので
生徒さんは、私のことを「先生」と呼ぶ。
(当たり前だ)
先生と呼ばれる職業になったのは
初めてなので、慣れるまでは戸惑った。
お料理を教えてるときは
夢中だから気付かないけれど、
たぶん、私は「先生」と呼ばれることを
無意識に喜んでいる。
先生、先生と呼ばれると、
自分が必要とされている、
慕われている存在だと思える。
でもこれって一歩間違うと、
自分を過信したり、自分が偉くなったと
勘違いすることにつながる。
政治家が偉そうになる理由が
なんとなくわかった。
わたしの親戚にはとても教師が多い。
両親こそ会社勤めだが、
祖父も祖母も叔父も叔母も
みんな教師だった。
残念ながら、私は学校にあまり良い思い出がなく
教師という仕事に魅力を感じなかったのだが、
結局人にものを教えているので、
家系なのかな、と思う。
祖父も祖母も
昭和の時代の厳しい教師だったようだ。
それが良いか悪いかは別として、
昔の先生はとても威厳があって
他人にも自分にも厳しかったようだ。
今も素晴らしい先生は沢山いるだろうが、
威厳がある怖い先生は減っている気がする。
わたしはお料理の先生で、
生徒=お客様 なので
生徒を怒るようなことはないけど、
自分には厳しくありたいと思う。
「教えるのが上手ですね!」
「料理の学校に行ってたんですか?」
なんて聞かれるたびに嬉しくて
つい調子にのってしまうから。
そして、
そういうときは必ず失敗するのだ。笑
好きな作家の一人である、銀色夏生さん。
彼女のこの言葉が好きだ。
先生(師匠)って、たぶん、
すべてがわかる人じゃなくて、
わからないと言わない人なんだと思う。
わからないと言わないと決めた人というのかな。
わからないと言わない、
「先生」と呼ばれることに甘えない、
そんな先生でいたいと思う。