わたしと家族とラーメンと
父の葬儀の翌日に、母と兄と3人でラーメンを食べに行きました。
葬儀の翌日…というのが、引っかかるやもしれませんが。まあ、身内が亡くなった悲しみは人それぞれでして。
わかりやすくがっくりと落ち込んで、徐々に立ち直っていく人。明るく振る舞っていても、夜に一人で泣いてる人。涙は出なくても、ふとものすごい喪失感に襲われる人。
落ち込みのバロメーターは他人からは測れないものだと思います。
だから、葬儀の次の日に家族でラーメン屋に行っても、私たちが父の死を悲しんでないとは、決して言い切れないのです。(…たぶん)
その、とら食堂というのは、このあたりでは名の知られた、いつも行列ができるラーメン屋でして。
その味は確かに本物で、澄んだスープがもちもちのちぢれ麺にからむからむ。くどくないのに、やみつきになる絶妙な醤油味なのです。
父はここのラーメンが大好きでした。
昔から、本当に好きでした。
父のラーメンへの執着はすごくて、ラーメン大好き小池さん並みでした。
そんな父だから、私が子どもの頃にも、とら食堂に一緒に行きました。行ったというより「連行された」という表現が近いのですが。
その頃のとら食堂は、とても小さな店でしたが、今と同じように行列のできる名店でした。
でも、車酔いがひどくて食欲はないわ、行列は長いわ、父は機嫌が悪いわで、気分は最悪。
ラーメンの味も覚えてないくらい、とら食堂に、あまり良い思い出がなかったのです。
しかし、時は過ぎ。
父は亡くなり、私はおばさんに近づきつつあり、とら食堂は大きな店にリニューアルし。
皮肉なことに、父が病気になり、怒鳴る元気もなくなったことで、家族は落ち着いて食事ができるようになり、そこで初めて、私はとら食堂のラーメンの美味しさを実感するようになったのです。
奇をてらわない、昔ながらのラーメン。
食べるたびに、なんて美味しいラーメンなんだろうと、しみじみしてしまいます。
そうして、嫌な思い出は塗り替えられました。
こんなに美味しいラーメンが、デコボコした私たち家族の思い出の1ページにあること自体、奇跡だという気がします。
父は亡くなってしまったし、私は離れて住んでるけれど、これからも家族の思い出に寄り添うように、たまにはみんなで食べに行きたいと思います。
最後に。
白河のとら食堂、周りは田んぼと畑しかないけど、本当に美味しいからぜひ行ってみてください!(そんなオチって…)