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コンパッションとは、私を生きる愛と覚悟

私はこのままで生きていけるのだろうか。
自分の扱いすらわからないのなら、この先好きな人ができてもいつか壊れてしまう。

コンパッションに出会う前の、私の心の中。


コンパッションとの出会い

コンパッションとは「思いやり」「慈悲」を意味する言葉。
関連の書籍の存在や、意味するところはなんとなく知っていた。

「私は今のままでも十分頑張っている」と自分に声をかけることは幾度となくやってきた。

3年前からコーチングを学び、自分の内面を理解することを曲がりなりにもやってきているのだから、言わんとすることはなんとなく分かっている。

私にとってのコンパッションは、そのくらいの理解度だった。

直近の1年半は理学療法士を離れてパーソナルトレーナーへ転職したり、未完了だった海外に住む準備を始めたり、久しぶりに恋愛が始まったりと、新しく学び始めるよりも生活の変化が大きかった。

やっと昨年末にメルボルンへ移り住めたものの、想像以上に孤独で、想像以上に自由。
初めての海外暮らしは、私のアイデンティティをまっさらにするには十分すぎるものだった。

環境の変化とそれに伴う精神の揺らぎも手伝って、恋人とは結局別れてしまった。
家族とも慣れ親しんだ友達とも会えず、一歩外に出ると私は外国人。

私はこのままで生きていけるのだろうか。
自分の扱いすらわからないのなら、この先好きな人ができてもいつか壊れてしまう。

私は、私という人間を愛して生きていくことに自信がなくなってしまった。

そんな絶望と苦しみの中で、同じくメルボルンに住んでいるコーチ仲間のパトちゃんがコンパッションをすすめてくれた。

当時の私にはいま一度ゆっくり自分に向き合う必要があって、そのタイミングが来ていることは明確に分かっていた。

私を生きる愛と覚悟

本で学ぶよりも、誰かと対話をしながら知識を深めていくことが性に合っていると自覚している私は、さっそく良子さん早紀さん主宰のコンパッション・マインド・トレーニングに申し込んだ。

毎週平日の夜の講義と課題、時には受講生同士で対話の時間を作ったりと仕事をしながらの受講は大変だったけれど、疲れた心を労るには欠かせない時間だった。

印象的だったのは、コンパッションには愛と共に勇気や覚悟が必要であるということ。

ただ自分や他者へ優しくするだけではなくて、そこに至ったプロセスや自分の人生を通して大切にしてきた価値観・出来事に改めて目を向けていくこと。
あえて抽象的に書いてしまうけれど、この道のりは本っ当にタフだった。

自分の今見えている世界は本当はもっと優しくて、穏やかで、温かさを持っているのに、私はいつも人生に厳しさを持たせることで成り立たせようとしている。

自分が一番自分に安心していなかったと気づいたときは、しばらく涙が止まらなかった。

トレーニングを終えて

コンパッションの学びはこの夏に終わってしまったけれど、日常の中に息づいていることはたくさんある。

自分がどういったときに悩みを持ち出して、そんな自分は本当は何を求めているのか。
自分の中で落ち着く手段や行動を改めて持っておく。
いい私も悪い私もあって当たり前。

コンパッションでの学びがあったからこそ、今は占星術も学び始めていて、これもとっても面白いしつながりを感じることがたくさん。
(占星術についてはしっかり別で記事を書きたいくらい、本当に好きだし楽しい)

現状の私の心の中は、こうなっている。

私はこのままで生きていけるのだろうか。
このままでも生きていけるし、変化し続けることもできる。

なんかとっても頼もしい

自分の扱いすらわからないのなら、この先好きな人ができてもいつか壊れてしまう。
自分の扱いはわからなくても、自分の声は聞いていける。
 私にはその力が備わっている。
 大切な人に出会いたいという願いも、持ち続けていて大丈夫。

人生を通して、誰かと深く精神的なつながりを持っていたい

コンパッションが根付いていく世の中だったら、どんな風景になっていくんだろう。
コーチとしても関わり続けていきたい分野にまた出会えたなあと、気持ちがほくほくしている。

この記事は「コンパッション・マインド・トレーニング」主宰の良子さん・早紀さんと受講生が書いていくコンパッションアドベントカレンダー2024に寄せて書いた記事です。
受講開始以降、主宰のおふたり、共にコースを受けたみんな、コミュニティで出会った方々からたくさんの勇気と愛を感じていました。
月末まで続くこの企画を、ぜひ見守っててもらえると嬉しいです☺️

画像は大好きなオーストラリア・メルボルンのワイナリーにて。
空が広くて青くて、私にとって深呼吸がしやすい国だった。

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