人として美しい方を選べ
昔からの性格で、私はいわゆる「うまくやる」ことが下手である。
世渡り下手なんだろうな、と思う。変な正義感もある。そんなのあったってお金にもならないのだけど、しかたない。
まだいまの仕事を初めて二年目のとき、知人から「ぜひ、紹介したい友人がいる」と言われた。マーケットが枯渇していた当時の私は、喜んで知人の申し出を受けた。
当日になって、なんかおかしいと気づいたけれど遅かった。
地元の駅でその人と待ち合わせたはずが、知人がその場に現れ、紹介する友人はまだ福岡のホテルにいる。ここに連れてくるだったのに、申し訳ないと。自分が車で福岡まで連れていくと言う。
半信半疑で車に乗り込んだら、同乗者がいて、彼女たちの話を総合するとどうやら私はマルチビジネスのコンベンション会場に連れて行かれているようだ。
車で連れていくと知人が私を車に乗せたのも、途中でいなくならないようにだろう。
やられた。
「紹介する」といっても、お客様を紹介する、とは確かに言われていない。私をマルチビジネスのボスに会わせるをそう言っていたのだ。
マルチビジネスが悪いわけではない。商品がよければ、使ってもいい。ただ、このように騙すようにして連れだされるのは本意ではなかった。
名刺もパンパンにして、スーツも新調してその場に臨んだ私は、自分が情けなくて泣きそうだった。数字ほしさに、こんな見え透いた作戦にひっかかるなんて。
私は福岡までの二時間を、屈辱の気持ちで過ごした。車中でも私はほとんど無言だった。ホテルについたらトイレにいくふりをしてトンズラしようかと思ったが、もうその元気もなかった。
「ここにいらっしゃいます、さあ、どうぞ」と知人から手招きされ、私はなす術もなく部屋に入った。
部屋には、一目で高価とわかる服を着こなし、でかい宝石をつけたキラキラしたマダムが座っていた。
とりあえず名刺交換だけする。マダムの話は、バーター契約ぽい話だった。(もちろん社内では禁止されている)
化粧品だかサプリメントだかを、私が自分のお客様に宣伝して販売すれば、マダムの管下の人たちに自由に営業していい。私の言うことは絶対だからみんな加入するよ、と。
正直、数字は喉から出るほどほしかった。20人程いたマダムの取り巻きに対して、ひとり10万の売り上げがあったとして200万だ。
もちろんバーターは違法だが、必ずバレるとも限らない。実際にはうまくやってる人もいると聞く。私は頭が真っ白になるくらい、一瞬でぐるぐると考えた。
だが、当時の所長の言葉を思いだして結局断った。
「迷ったら人として美しい方を選びなさい」という言葉だった。
ここで200万の数字を挙げたところで、それは誇れることではないと思ったのだ。
だから、結局私はてぶらのまま自分の街に戻ってきた。この話を持ってきた知人は私の決断を小馬鹿にしたように口を歪ませて帰っていった。
あれから、この知人とは一度も会っていない。
今思うと、あの時200万の売り上げを上げていたら、私はたぶん今、この仕事を続けてはいないだろう。
誰も企みに気づかなくても、自分だけはそれを知っているのだから。
小さな針のさきほどの胸の痛みは、やがて脈をうち大きな牙となって私を呑み込んだだろう。
迷ったら、人として美しい方を選びなさい。
この言葉に救われて、いま私がここにいることを誇らしく思う。
そして、誰かが危ない橋を渡ろうとしたら、迷わず言おう。そう、心に決めているのだった。