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指南書

昔から文章を書くことは好きだったけれど、ずっと独学でやってきた文章を、この度初めてちゃんと勉強してみようと思っている。

へんに学ぶことで型にはまってしまって、自分らしい文章が書けなくなるのではないか。そんな生意気なことを考えて、今までハウツーについてあまり近づかずにいた。本を読んで好きなことばを集めたり、短歌を始めたりと、自分なりにことばと触れ合ってはいたつもりだ。自由に書いていい舞台をもらって、1年間フリーペーパーに1600字のまとまった文章を書かせてもらったりもした。でも、書いているうちに、頭打ちにあった。書きたいことがうまく書けない。自分の感じたことをことばに当てはめるのは自分の勝手だからできる。だけど、例えば共感して応援したい人の活動や、自分が体験したことを他の人にも興味を持ってもらうために形にすることがとても苦手なのだと気付いた。私は、エモい文章しか書けない。もはやここまでかな、と自信を失ってうじうじしていた。

最近、民藝好きが高じて取材を受ける機会があった。鳥取へ来た移住者としても時々取材を受ける。そういう際に、自分が言いたいことがうまく伝わらず、とてももどかしい経験をした。私自身がうまくことばにできていないせいもあるが、自分の思いが違うニュアンスで広がっていくことに違和感を感じた。悔しさ、の方が近いか。自分のことばを持っていれば、もっと的確に思いを伝えられるのに。東京から鳥取というローカルな場所にきて、土地柄根が深い民藝が大好きになって、助産師といういのちと近い人間の根本と触れ合う機会が多いところにいる自分だからこそ、感じる思いがあるし、気付きがあるし、出会える人がいる。そういうものたちを、私はもう少し、ことばというみんなに見える形に変換し、共有できたらもっともっと楽しいのではないかと思った。

そんな矢先に出会ったのがこの本だ。『ローカルジャーナリストガイド』地域で暮らし、地域から発信する人のための教科書。島根のローカルジャーナリスト、田中輝美さん経由でこの本の存在を知り、タイミング良く出版記念イベントに参加できた。ニュースを発見し、取材し、執筆し、発信する。そのハウツーを取材時の服装はどう、とか一から細かく書かれている。イベント参加者は、すでにメディアを持っていて、発信をしている人達が多かった。私のように右も左もわからない者はとても緊張して小さくなっていたが、田中輝美さんに「この本は、あなたのような人のための本です」と言ってもらえ、この本を指南書にして一から自分なりに始めてみようと決めた。

早速、先日行ってきたヤッチャバという青空市のレポートを自分なりに書いてみようと試みたが、何も考えずに書くと私の文章は事実と解釈が混在しまくっていることに早速気付く。看護記録のSOAPは「S:主観的情報、O:客観的情報、A:アセスメント、P:プラン」この整理はいつも仕事でしているのに、なぜできない。混在しているものを、整理していく。難しい。苦しい。

でも、整理しているうちにおもしろい事実に気付く。「やさしそうな人」では主観で解釈なので、どういう風な点がやさしそうに見えたのか。描写を丁寧にする。目尻なのか、声色なのか、仕草なのか。視点が変わる。これは、短歌を作るときも同じだ。普段の私たちの生活では視覚や嗅覚など色々な情報を得て、それをもとに自然と解釈が入ってきて、感情が生まれる。そういう一つ一つを、意識していくこと。この訓練をすれば、もう少し自分のことも整理できてよくわかるかもしれない。また、整理してみると、もっとこの人にあの話を詳しく聞けば良かった、とか、あの人はああしていたけど、あれはなんでだったのだろう、とか、ただぼんやりふうんと眺めていた景色が繋がりを持ってきた。たいして長くない文章を書くのに死ぬほど時間を使って、疲れたけれど、こうしてひとつひとつ自分にできるレベルで始めていこうと思う。

看護師時代、勉強しても全く仕事に生きなくて、「無駄な勉強」と散々叩かれて向いていないからもはやここまでかと思ったけど、助産学校に入り直して、一つ一つの知識を地味に繋いでいったら、少しずつ「ワカル」ができて楽しくなってきた。ことばが好きで文章が好きなのは揺るがない事実。自分なりに訓練をして、繋げていく作業をしていけば、きっと何かが見えるはず。走りながら考える。森に入る前に、向こう側を想像するのは時間の無駄。敢えて宣言することで、自分にプレッシャーをかけるという作戦です。