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mustとwantの境界線

新しい家になって、ないものが増えた。今まであったものがなくなると不便な気はするが、ものが増えると動きづらくなる。不便を楽しみ、なくてもぎりぎりいけるか否かの調整をしている毎日である。

たとえば、電子レンジ。この家には、オーブンもオーブントースターもあるけれど、電子レンジだけがない。これは不便かなと思ったが、生活をしてみるとなくても案外いける。コンロは3つもあるので、大概のものはあたため直せばいい。

どうしても困るのが、ごはんだ。1升炊きの高性能の電気釜があるが、長時間保温するとごはんが固くなるので普段は早いうちに小分けにして冷凍して必要時チンしていた。しかし、冷凍したごはんをチンせずに食べる方法がなかなか難解だ。

出汁と炊き直して雑炊にする。ありだ。大好きな毛利助産所では、朝食は毎朝茶粥だった。ほうじ茶とサツマイモで炊いた、味付けは塩だけのシンプルな茶粥を毎朝食べる生活もいいなと思う。

チャーハンにして炒めて食べる。ありだ。私は、倉吉にある三日月という食堂のチャーハンがこの世で一番おいしいチャーハンだと思っているが、鍛錬してその味に近づけるのもいい。

ただ、どうしてもチンして白いごはんのまま食べたい場面もある。それだけがどうしてもクリアできずにモヤモヤしていたが、ある日いいことを思いついてしまった。職場でチンすればいいじゃないか。お弁当に、冷凍ごはんとおかずを持っていって、職場の電子レンジでチンして食べたらいいじゃないの。これを思いついたときは、後光が射すような気がした。発想の転換って素晴らしい。

そんなことを、鼻息荒く後輩に話していたら「あ、電子レンジいります?」とサラッと言われた。忘れていたが、彼女が一人暮らしを始める時に私があげた電子レンジがあるらしい。あまり使っていないから返しますよ、と。ないからこそ絞り出す知恵について熱弁していたが、あるにこしたことはないような気もする。ただ、不必要にものが増えると、キッチンが狭くなる。悩む所である。

もうひとつの悩みが、インターネットだ。必要時はコメダ珈琲行けばいいし、大山の家にはWi-Fiが飛んでいる。スマホがあるので、最悪テザリングすればいいし、平日は必要最低限でいいだろう。これを機に、脱SNS生活。そう考えていたが、調子に乗って使っているとスマホはあっという間に重くなり、昔のADSLばりに遅い。ちょっとした調べものをするだけでも、とにかく遅い。動画も見られないし、ウェブ会議も不便だ。メールひとつ送るのもストレスだし、情報弱者になった気がする。

ないからこそ、お金で自己完結せずに共有場所へ行くことでコミュニケーションが生まれる。これを機に、ないことを楽しもう。喫茶ランドリーの発想で不便を楽しむってかっこいいじゃない。そう思っていたが、スマホにその重圧がのしかかり悲鳴をあげている様子は見るに忍びない。

やせ我慢はせずに必要なものは整えて、ストレスのない生活をしていきたい。取捨選択というものは、難しいものである。


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