見えない赤ちゃんへのおせっかい
郵便局の窓口で、ばったりと知人に出会った。以前お世話になった方で、すっかりご無沙汰していて妊娠・出産の報告もできていなかった。「赤ちゃんが生まれたって聞いたわよ!」と言われたので、「今車にいるので是非会ってください」と窓口の処理を中断してもらい、駐車場の私の車へ案内した。
車には東京から来ていた私の母と赤ちゃんがいたので、少し雑談して挨拶して、その方とはそこで別れた。残った処理をしに郵便局へ戻ったところ、受付の女性に
「赤ちゃんは一人で車にいるんですか?」
と聞かれた。
先ほどの一連のやり取りを聞いていて、私が赤ちゃんを車にひとり残したまま窓口に来たのかと思ったのだろう。私が慌てて「いえ、母が一緒に」と言うと、
「ああ、よかった。11月とはいえ今日は気温が高いですから、少しの時間離れるだけでも車内が暑くなりますからね」
と笑顔で言ってくれ、なんだか胸が熱くなった。おせっかい、ここにあり。こういう声かけこそが、悲しい事故を未然に防ぐ。
今日は母が見ていてくれたけれど、ほんのわずかの時間ならば赤ちゃんを置いて車を離れてもいいのかなと思っていた私にとって、その声かけはありがたいと同時に正直ギクっともした。
子どもが生まれてから、「ちょっとだけ立ち寄ろう」がしにくくなった。前はあそこもここもと寄れていたところが、その都度チャイルドシートにいる赤ちゃんを抱っこしておろすのも面倒だし、せっかく寝ているのに起こしてしまいそうで気が引ける。すぐ帰ってくるからちょっとくらいいいかなと正直思う時もある。
実際その日はとても暑く、郵便局の前に立ち寄った野菜市場で、私がいつもの癖でエンジンを切り、「すぐ帰ってくるからね」とほんの5分離れただけで、閉めきった車内は汗をかくほど暑くなったそうだ。帰って来た時に、母がドアを開けて外気を入れてくれているのを見て初めてその事実に気づいた。赤ちゃんはものを言えないからこそ、そういう客観的な指摘はありがたい。
「ちょっとくらいいいだろう」の気持ちもわかるからこそ、悲しい事故が余計悲しい。見えない赤ちゃんに気づくこと、そしてその場でおせっかいの声をかけられることが、本当に大切なセーフティネットに繋がると思った。