トラウマケアから2年後 追放者に出会う①
ちょうど2年前のこの時期、娘が倒れた。
そして、この怖さをケアをしてもらって約2年。
自分の中に違和感に気づきケア開始
その時に私は全然怖さが出せずにいて
人に頼るということもあまりせずに、あっきらかんとして過ごしていたんですけど、そのタイミングで受けたトラウマケアの学びの中で、もっと人を頼ったりしてもいいし、もっと感情って出てきてもいいものなんじゃないかなという気づきを得て、
随分と身体心理学・内的家族システムIFSといった心理療法的な学びに救われた過去があります。
この2年で体に意識を向けながら自分のパーツを捉えたり、癒やしたりし続けていました。
内的家族システムとパーツの役割
・全体を取りまとめてくれるまとめ役のパーツ→セルフ
・他にも守ってくれるような立ち回りとしてのパーツ
→管理者・消防士という2種類の防衛的なパーツ
・過去に受けた心の傷をそのままにしていると
その時の感情や思いを引き受けるパーツ→追放者 というパーツの捉え方をします。
この「追放者」こそ、私がずっと会いたかったパーツ。
たくさんの悲しみ、怒り、恥などの感情を抱えています。
ケアして欲しい、愛が欲しい、このようにいつも愛を求めています。
コアがそのまますぐ見つかるわけではなかったので、体に意識を向けて、痛みに目を向けたりして、ちょっとずつ捉えてきたという数年。
この子たち含む、断片化されたパーツたちを私はこの2年、時に絵を描き始めて1年で沢山見つけてきました。
そんな中で感じたことは、防衛パーツが私を守るために、追放者を見つけないよう、トラウマが出てこないように、命を守るために生活を守るために管理をしてくれているパーツが守ってくれているという体感。
追放されている力強い何かをずっと感じていたんですけど、
完全に気づいてしまうのが怖いみたいなパーツが
私は絵を描き続けて自己対話を続けてきたことで、小さなパーツたちを沢山拾い上げてきた中でこの子を、アートとして捉えることができました。
この2年の月日に遅い早いもなくて
今だからこそ、認めてあげることができた幼き私。
その子を、大人の私はずっと怖がっていました。
その子は、遊びたい!!仲間に入れてほしい!!みんな仲間でいてって!!本当に無邪気で遊ぼう遊ぼう!!という感じのパワフルな小さな女の子かなという感じで捉えたんですけど、
その子がずっと発してくれていたメッセージは、
/
人はいいから私を見て自分を見て
\
ようやく、気づけたその小さな子は、まだまだ
ずっと無視をしていたので拗ねています。
なので、私が心地よくいること・やりたいことをやらせてあげることで
信頼回復といいますか、新しく愛着を結び直し
パーツの統合を改めて図っていきたいな という視点に立つことができました。
無邪気さゆえ、パワフルさがゆえ、怖がっていたパーツ。
それが悪いわけではなく、意味があったこと。
怖がることで得ていたものもあるので、後半にまとめていきたいと思います。
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