怒りの裏にある本当の気持ち
本日久々に次女に本気でキレました。
もうね、ワナワナしていた、身体が。
全然収まらなかったんです。
感情は実は体の反応(情動)から
発生していくのですが
この体の反応が少しずつ捉えられるようになって
客観的も自分に優しくできる瞬間が
増えてきたように思います。
なので小さなイライラや不安は
自分でだいぶ抱きしめてあげやすくなった。
けど、今日は無理だった。
なにがあったかというと
『精油を半分くらい無駄にされた』
ほんとにそれだけ。
え、それだけで怒らんといてやりーやですよね。笑
怒った直後は精油が高価なものだからこんなにも
怒りがおさまらないのかなーなんて
なんて私は子ども相手に大人気ない。小さいな。と
思っていたのだけど。
今日1日過ごした心の動きを見ていて
少し片鱗が見えました。
『命を粗末に扱わないで欲しい』
根底にこんな思いが見え隠れしました。
実はその精油というのが、長女の病気の
お守り的に使っているもので
多分他の精油だったらここまで怒ってない。
それを勝手に使い、遊ばれたことに
半端ない憤りを覚えていた。
悪気がないのも偶然それを手に取ったのも
頭じゃわかっている。でも許せなかった。
謝る時もニヤニヤしていて反省の色もなく
ますます腹が立った。
長女を蔑ろにされたみたいに感じて
呼吸器をつけた経験をしているので
『どこか失う怖さ』みたいなのが
本能的に働いたのかもしれないなぁと。
なにかに私がイラッとする時って
人や私、モノに対して
ほんと粗末な扱いをされてる時と感じるとき
なんだよなぁ。
(子供にはもちろん意思があるのだけども)
●おもちゃを粗末な扱いをしている。
●ご飯を粗末に扱い残す。
●話の反応をしてくれないなどなど
根底に『してあげたのに』『してあげてるのに』
わたしを大切にしてくれていない
っていうのもあるのかもしれないなぁ。
『私が結局自分のこと粗末に扱ってる』のだなと。
気づいたら優しい選択を自分にしていく。
その繰り返し。
穏やかに過ごす。
ずーーっと穏やかに、過ごせる訳じゃない。
安心に、とどまれる時間が少しでも
増えますように。
心が、身体が反応するものに
気づく時間を少しでも送れますように。
最初から気づこうとしなくていい。
ふと立ち止まって、『今』を感じてみて欲しい。
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