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Leicaを貸してもらったら、Leicaが欲しくなってしまったじゃないか

12月の初めに先輩が大切に使っていたLeicaを貸してくれた。写真を撮ることは好きだった。と言ってもカメラに詳しいわけでもなく、詳しい人が近くにいたわけでもない。初めて買ったカメラはR10。どこかでこの「カメラがいいぞ」と読んで買ったと記憶している。26歳で五大陸の旅に出た時も、R10を携えた。当時は、写真が美しいかどうかというよりも、記録を残しておきたい一心だった。

娘が生まれる時に一眼レフを買おうとなり、キタムラカメラの店長に勧められたSONY-αのカメラを買った。そこから9年、SONY-αを使っている。使い心地がいいのか悪いのかもわからない。不自由はないし、コンパクトで持ち運びしやすい。

ライターの仕事をするようになってから、カメラと写真について少し学んだ。学ぶともっとたくさん写真を撮ってみたくなった。たくさん撮って、いい感じの写真を選ぶ。「現像」をして、もっといい感じに写真を仕上げる。この過程が加わったことで、切り取った場面はより印象的なものとなる。

取材写真を自分で撮る機会も増えた。「写真いいね」と言ってもらえるたびに嬉しくなり、ますます写真を撮ることが好きになった。

カメラや写真の話をしていたら、カメラをたくさん持っているカメラと写真が好きな先輩が、大切にしているカメラを貸してくれることになった。それが、Leicaだった。東京駅で待ち合わせをして、Leicaの使い方を教えてもらった。保管BOXやレンズの蓋、ケア用品を購入し、先輩の大切な子どものようなLeicaを借りた。「私の代わりにいろんなところに旅につれってってあげて」と先輩は言った。Leicaといろんなところを旅したいと思った。

12月は、東京の文学フリマや取材、クリスマスの街、初詣、公園と出かけるが、思うように撮れない。マニュアルで焦点を合わせることに時間がかかる。止まっているものを撮るのはいいが、被写体が動くものは、ブレブレだ。ああ、うまく撮れない、ダメだーと嘆きながらも、「このカメラで撮りたい」欲求が募る。首にかけると紐がグイッと首にねり込む。このLeicaの重みが、ザラザラとしたボディの手触りがクセになる。いつものカメラを持つと軽く感じる。実際に軽いのだけど。

こうして、ひと癖もふた癖もあるひとが、いやカメラが忘れられなくなるのかな。Leica、そろそろ先輩に返さないと。

動く被写体を撮る時は、失敗しないように、もともと持っていたカメラで撮る。今ではその軽さが物足りなく感じる。ブレのないピシャリと切り取られた写真すらも、物足りなく感じる。うまく撮れない、ブレた写真が、のびた光が愛おしい。

できないことができるようになりたい。向上心も芽生えているのかもしれない。写真に映し出された被写体の輪郭に惹かれている。

先輩のカメラを丁寧に丁寧にとの気持ちがあるあまり、いつものようにバシバシを写真を撮ることができない。カメラにも遠慮がちになってしまう。もっとカメラと一体となってバシバシ撮りたい。ならば自分で買ってしまうか。自分のLeicaが欲しくなっている。お金をお金としておいておくのか、Leicaとしておいておくかの違いだと思う。

とはいえ、仕事で使うなら撮り慣れたカメラの方が確実だ。Leicaを買ってもそれはただの遊びだろう。ただの遊びでいいのではないか。問答がはじまる。まずは先輩にLeicaを返そう。先輩との時間を育んできたLeica。大切なものを貸してくれた先輩にお礼を伝えよう。実際に触ってみる、時間をともにする時間を与えてもらったことで、新しい扉を開いてしまった。先輩、ありがとう。


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