雑草という草はない
つくづく思うことがある。生粋の、雑草だと。
そう思うことのきっかけはいつも、名の知れた植物の片鱗に触れたときだ。なにもない。立派な花の名前も知らない。名も知られていない、名もないのかもしれない。だから、自分で決めた名を名乗ることができる。誰になにを言われることもない。決まった居場所もない。ボスもいいない。ないない尽くしだ。時々きれいな花が羨ましくなる。羨ましくなるのは、美しく咲く花を見るから。雑草として生きていればそれだけで良いのに。美しい花のそばで良い香りに包まれる小さな花さえもうらやましく思えてくる。雑草はコンクリをこじ開けて芽を出す。種を撒いてもらえることは、まずない。
雑草について考えていたら、「雑草」という草はない。
この言葉に出会った。どの植物にも名があるそうだ。そうか、雑草という草はなく、みな、名を持っている。名がなければつければいい。
名があれば、雑草も美しい花も同じ植物に並ぶことができる。
どこから芽を出そうが、どこに咲いていようが、自分の名がある。
名前というのは大切なのだな。雑草とひとつ括りにしてしまわずに、名を呼ぶ。ライターや物書きと一括りにしてしまわずに、それぞれに名があり、それぞれの味がある。そういう世界はいいなと思う。
名をもつものとして、生きていけばいい。
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