毎日note、週末にリズム崩れがち「自己観察」
毎日noteを始めて13日目に挫折して、翌日、再び毎日noteを始めています。
前回、途絶えてしまった理由を振り返り、平日朝、仕事前にnoteを書く、と決めた。ところが昨日金曜夜に夜更かしをしてしまった。その結果、今朝、寝坊した。朝から子どもの行事が入っていたため、ゆっくり珈琲を飲んでnoteを書いて、出かけるはずの予定が狂った。起きてすぐに身支度して出かける事になった。
嗚呼、またnoteを書かないまま出かけてしまった。
このまま一日子供とべったり過ごし、一人パソコンに向かう時間が取れないままベットに入る事になるのか。そうなると、娘の寝息が聞こえてきた頃、布団の中でスマホをいじりながらnoteを書くことになる。そして、私の瞼は落ちて、寝てしまうだろう。
そんな心配をよそに、朝から楽しい苺狩りを終えて、ひとしきり遊んだあと、今こうしてパソコンに向かう時間がとれている。朝から一日、子供と友人たちと過ごし、今ようやく一人の時間が嬉しい。
こうしてnoteを書いているとき、一人になれるのだ。
昨日から私は、ドキドキしている。ドキドキをワクワクに変換したい。
新しいチャレンジを始める時のドキドキだけど、力むよりは楽しみたい。
久々に夫に仕事の話をした。久々に夫が私の仕事の話を聞いてくれたように感じた。不思議な気持ちだった。これまでと変わらぬように話たつもりだったが、私の緊張感が伝わったからだろうか、これまでの適当な返事よりも、親身になって言葉をかけてくれた。返ってきた言葉は、これまでと変わらぬ内容だった。でも、その言葉を受け取る私の構えが明らかに違っていた。
なぜだろう。
なぜ、これまで私は、夫からの言葉に腹を立て抗っていたのだろう。
自分に対して腹が立っていたのだ。
チャレンジができていない自分に抗っていたのだ。
やってできないポンコツではなく、やらないポンコツと受け止め、そんな自分に腹を立てていたんだと思う。ワクワクと緊張感が並走するような、自分にとって大きなチャレンジをしていることで、身近な人に大丈夫だよ、と言って欲しくなった。自分の今の気持ちや状態を知っておいて欲しいと思った。
これまで同じ言葉をかけられても、素直に受け取めることができなかった。
夫が見る妻は、すでに無茶な事をしているように見えていた。だから、できなくて当たり前、ポンコツはポンコツなりにやればいいと言ってくれたいた。でも、その言葉に私は毎度ムっとしていた。でも、今は素直に自分はポンコツだと思える。
上手くやれなくて当たり前、チャレンジとはそういうことだ。
娘のコリスだって、最初から縄跳びを跳べたわけじゃない。
何回も何回もチャレンジして、跳べるようになった。
私だって同じ。いつからか、上手くやることばかり考えていた。
失敗するのが怖くなり、失望されるのが怖くなり、勝手に期待を背負ってしまう。
私「なんで縄跳びがんばるの?」
コリス「跳ぶのが楽しいから」
私「なんでそれ、やるの? 楽しいから!」
コリスの縄跳びも、私のチャレンジも同じ。
大切なのは、私が楽しむこと。
それだけだ。
忘れるな。