フリーランスになり、仕事への向き合い方について考えたこと
9月で会社を退職し、フリーランスになった。退職して1ヶ月半の記録を書いておこう。
初めての仕事(結果として仕事にはならなかったのだが)で顧客先とのアポイント時間を間違ってしまった後、継続依頼をいただくことができた。しかし、その後、顧客先の状況が変化し、フリーランスとして最初の仕事はなくなった。
はじめての仕事、じぶんにとってはチャレンジとなる仕事がなくなった。ホッとしたような、寂しいような。また次に、やってみたいと思える仕事を探そう。
退職後、周囲に退職報告していく中で、いくつか自分で業務量や業務時間の調整が可能な業務委託やアルバイト案件のお話をいただいた。どれも、キャリアアドバイザーの経験が活かせる人材業界での仕事だ。
最初は、もらえる仕事はなんでも引き受けるべき?!下積経験を積んでこそ、信頼して仕事を振ってもらえるようになる?!
そんな考えが頭をよぎったりもするが、なんでもかんでも引き受けていては、結局のところ、会社員時代と同じ状況に陥るのではないか。なんのために会社を辞めたのか?どう在りたくてフリーランスになったのか?わたしはコレを見失ってはいけない。
Being:子どもが小さいうちは、今しかない家族との時間を楽しみたい 心穏やかに笑顔で過ごしたい 無駄を楽しみたい
Doing:余白時間のあるスケジュール、心ここにある状態
これからどんな仕事をやっていくのか?を考えながら色々やってみる、と考えていた。そもそも仕事したいのか?仕事しなくてはならないのか?一度仕事から離れてみよう。せっかく身が自由になったのだから。
退職前、前のめりに予定を入れていたわたし。
・散らかりまくった家を片付けねばならない。
・これからの自分のキャリアを考えなければならない。
・好きな書くことを学ばなければならない。
いつの間にか、発動していた「こうあらねばならない」思考。
誰からもお願いされていないのに、勝手に自分に葉っぱをかけて追い込み走らせる、長年の思考の癖で動いているじぶんに気づいた。
この「ネバネバ思考」を下さなければ、会社を辞めても、何をやっていても苦しくなるのではないか。
「こう在りたい」と「こう在らねばならない」は違う。
母だから、食事はきっちり作らねばならない。親だからしっかりしなければならない。フリーランスになったのだから、仕事をもらうために営業をかけねばならない。土日は家族と過ごすので、平日は一人で充実した時間を過ごさねばならない。退職したのだから、会社員時代よりnoteを書かねばならない。。。
自由の身になったと思っていたが、じぶんを自分で縛っている。
あれやこれやと期日目標を立てて、それを完遂するように動く。完璧主義というやつだ。完璧にこなせないじぶんにイライラする。自責・他責がストレスを生む。タスクを一つずつクリアすることで、それができる、じぶんを認めてきたのだろう。何もしていないじぶんはどうなの?何も生み出さないじぶん。そこに居るだけのじぶん。
それが、わたしだ。
今は、これをやってる時が楽しい、この感覚を大事にしよう。
それを続けていこう。焦って仕事を入れない。
と言いながら、10月にそろそろ仕事入れておかねば・・・(ネバネバ思考が取り憑き中)と、来年1月〜3月まで月2〜4回の単発の業務委託の仕事を入れてしまった。誰も「そろそろ仕事を入れたら」とは思っていないし、言ってもいない。
誰も見ていないのに、誰かの期待に応えようとしている。
経験値を積みたい、ちょっとチャレンジングな経験値を。その気持ちに沿って年明けからの仕事はやってみる。そう意味付けしている。
「ネバネバ思考」をなくさネバならない。これも違う。。ネバ癖のあるわたしと上手く付き合いながら、生きていく
ネバならない ⇨ ほんとに?誰が言ってる?
完璧主義より、完了主義。完了したかどうかは主観で決める。
じぶんの人生、自分しか見てないよ!
とわたしに言っています。
※14:00更新
わたしの「ネバネバ思考」が出てきたら、「まじめかっ!」と「知らんし」のツッコミをいれてやろうと思った。
その理由は以下です。
昨日夜、Twitterでぶんしょう舎さんの講座を知り、申込んだ。
田中泰延さんの「会って、話すこと。」を読んで質問を提出するとの事前課題があった。結論、間に合わなかった。本も講座も以前から気になっていた。今読んでる本を読んだら、次買おう、と後回しにしていた。講座に申し込み、昨晩慌ててKindle本を買って、朝から読書始めたが、そもそも〆切過ぎていた。残念だが、この本を読んだことで、今のじぶんへ掛けたい言葉に出会った。
それ以上に、いいコトたくさん書いてあった。急いで講座に申し込んでよかった。
学びたいと思ったら、学んだらいい。
誰も求めてない、じぶんがやりたいからやる。